赤煉瓦のあるまち。横手市大森町を歩く

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2020年11月に敢行した、二泊三日の秋田遠征。
移動時間が多くて全体的にバタバタした旅程になってしまったが、振り返ると最終日が一番頑張ったような気がする。

手始めに、宿から15kmほどの大森町(現横手市)を訪れた。

横手駅から西へ10kmあまり。
旧大森町は戦国時代に小野寺氏が大森城を築いた土地柄。城は江戸前期に廃城になるが、街道や川湊が整備されるなどその後は物資の集散地として発展した在郷町である。

大森にやってきたのは『秋田県の遊廓跡を歩く』に載っていた料亭をひと目見たかったからで、それ以外の目的は特になかった。

町の中心部をぶらぶらと歩く。
大納川なる酒を醸す、大納川なる名の小さな酒蔵があった。

秋田県清酒品評会で二冠達成を成し遂げたとのぼり旗には書かれていた。
おめでとうございます。

 

赤源呉服店(明治32年)

大森が商人の町だった名残は、重厚感あふれる赤煉瓦の建物に見て取ることができる。
こちらは、県内でも珍しいとされる赤煉瓦の町家、旧赤源呉服店。

赤レンガ蔵(明治18年)

そして、登録有形文化財にもなっている赤レンガ蔵。
元々は土蔵だったが、大火を機に大正元年、外壁に煉瓦を積み上げて今の姿になったそうだ。

蔵の奥に建つのが赤川家住宅
ゆえに、蔵は「赤川家住宅蔵」とも呼ばれる。

ちなみに、赤源呉服店を営んでいたのがこちらの赤川家。

 

というわけで、そろそろ目的地へと向かいましょう。
赤レンガ蔵の前を北へ。

『秋田県遊里史』によると「大正中期以降の料理屋は倶楽部、松葉屋、菊地屋、高砂屋、広屋、その他2軒あった。いずれも酌婦4、5人抱えて営業した」とある。(秋田県の遊廓跡を歩く)

いわゆる遊郭や赤線ではなかったそうだが、確かに大森に遊里が存在していたことを裏付ける描写がある。

そして何より、一歩間違ったら農村とも思えるような牧歌的な風景の中に、なぜかスナックが数軒紛れ込んでいるのである。

違和感の正体は、ゆるいカーブを曲がった先で姿を現した。

戦後、昭和26年に創業した「料亭貞好」。

サイズ感的には小料理屋と言った感じであるが、創業当時は食堂だった建物である。

で、この貞好さん。

昨年2月に国の登録有形文化財になるというおめでたいニュースが飛び込んできたその4ヶ月後、近くの倉庫から上がった火で外壁が延焼するという非常にショッキングな事件に見舞われてしまう。。

その後のことはよくわからないが、貞好さんの未来が前途洋々たることをただただ祈るばかりである。

そして、機会があればこの建物で食事をしてみたいものである。
大森の地酒、大納川とともに。

 

目的は果たした。帰ろう。
付近にもう1軒スナック(廃墟)があった。

そう言えば、紅葉がいい時期だった。
旅先での桜や紅葉、雪景色は旅情に深みを与えてくれるから好きだ。

廃屋と化し、長らくの間見る影もなかった「割烹・広の屋」がある場所へ行くと、建物は跡形もなくなっていた。
長くても2~3年。あとそれぐらい早く来ることができればお目にかかれたであろう。

残念だ。

付近にもう1軒、立派な建物を見つけた。
豪農の屋敷然とした佇まいだが、すでに空き家のような雰囲気だった。

[訪問日:2020年11月16日]

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