旧中河原の赤線跡から、「新地」と呼ばれたかつて遊郭があった場所へと向かった。
河原町の地名は現存することもあり、地図を眺めていたらその場所はすぐに突き止めることができた。
不自然に広い道幅、整然とした区画、そして袋小路になっている点。
とまぁ、リサーチしていたので行く前からわかっていたわけではあるがw、ともかくその場所へと向かうことにした。
途中、いかにも妖しげな路地にいかにも妖しげな物件を発見。
すぐそばで近所のおばちゃんたちが立ち話していて微妙に気まずい中、それでも好奇心には勝てんとばかりにドアの辺りをのぞき込むと
やっぱり!!
思わずガッツポーズしたくなったが、おばちゃんたちの訝しげな視線がさっきから明らかに背中に刺さってるので、ここはひとまず平静を装って風のように立ち去る。
そこからほど近いところに、『赤線跡を歩く』で“新地”と称されているお宅が今なお残っていた。
消火器は新しくなっているが、全体的にさほど変化はない。
Web上、いくつかのサイトで指摘されているが、この新地の見解は筆者の木村氏の誤認で、『よるの女性街・全国案内版』で“分散した”とあった「剣の宮」がここだったのではないかという説がある。
真偽のほどはわかりかねるが、概ね間違ってはいないような気がする。
新地
さらに15分ほど歩き、宇都宮城址公園の裏手にあたる「新地」へ到着。
もうね、こんな直球が来ると思わなかったから。ど真ん中なのに手が出ないとはまさにこのこと。
満を持して新地の内部へ。
あぁ、このムダに広い道、間違いな・・・ん?
なんか前方に妙な建物があるな。
ブフォwwww
な、なんだこれは!!?
これが元カフェー??
こんな建物今まで見たことないぞ。いや、でも色的にたぶんそうだよな。
このエスニックな建物をなんて形容したらいいのかわからない。
恐るべし、餃子の街宇都宮。これが餃子クオリティ・・
これだけ見ると海外にでも来たみたいな錯覚に陥りそうになる。
しかしここは紛れも無く日本。「宇都宮なう」なのだ。
二階にはまるでポン付けしたかのような、プレハブ小屋ならぬプレハブ部屋。
支柱がもはやつっかえ棒である。
こんなぶっ飛んだ発想をする時点で明らかに常人の所作とは思えない。
ふぅ。一度気持ちを落ち着かせよう。今歩いて来た道を振り返る。
対面にある木造長屋もそろそろ妖気を放ち始めそうなレベルの古さ。この一角だけ文字通り異界となっている。
それにしてもホントこれはなんなんだ。
妓楼にも見えないし、ましてや戦後カフェー建築のセオリーからは完全に外れている。
一体この「新地」には何があったんだ。謎が謎を呼ぶ。
タイトルにも綴ったが、筆者はこのあまりにも場違いな場所に建つピンクの館のことを勝手に『龍宮城』と呼ぶことにした。
しかしその龍宮城の隣がもっと凄まじかった。いや、隣というか正確には一部なのだが、まるでハリケーンに痛恨の一撃を見舞ったかのように側面だけ見事に崩落している。
そして視線をさらに左に移すと、そこにはもうひとつ強烈なビジュアルの建物があった。
玄関横には、豪奢な石造りの窓が。これはいわゆる張見世用、ってヤツじゃないですかね?
しかし、よく見ようと一歩近づいた瞬間、「中に入らないでぇ~!!!」と背後から怒号が飛んできてあえなく強制終了となった。
この家の所有者なのか、それともこの土地の者たちには秘密を守ろうとする意志があるのか、それはよくわからないが、確かに他人の家の敷地に足を踏み入れようとしたこちらに全面的に非があるのでさすがにここは素直に従った。
なんとなく後味の悪い幕切れになったが、見たかったものはほぼ見れたので概ね満足した。
さすがに30分かけて駅まで戻る気力はなかったので帰りはバスに乗り、エキナカで餃子をたらふく食らってから帰路に着いた。
[訪問日:2014年8月17日]
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