創業は幕末!ゆかりの人々に圧倒される備前の老舗宿『ゑびすや荒木旅館』に泊まった話

岡山県
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古くは瀬戸内の良港として栄え、旧山陽道の片上宿としても賑わった岡山県の備前片上。
宿場町時代の記憶をすっかり忘れてしまった通りで、往時を偲ばせるものと言えばかつてその場所に何があったかを記した標柱ぐらいである。

否。ただ一軒の旅館を除いては。

それがゑびすや荒木旅館
創業安政3(1856)年、今年で166年を数える超の字がつく老舗旅館である。

ゑびすや荒木旅館

JRの西片上駅から徒歩5分ぐらい。玄関は西国街道(旧山陽道)に面している。

正面から見たら別段古くもなくどこにでもありそうな外観をしているが、横に回ってみるとその奥行に圧倒される。
※見えてるのはすべて荒木旅館の建物

女将さんによれば、各建物は年代がバラバラ。奥に行けば行くほど古くなるそうだ。

料理店鑑札

「ゑびすや」の屋号は、江戸初期に営んでいた廻船問屋に由来するそうである。
幕末に開業した料理旅館の名にもそのまま使われ、今にいたっている。

着いたのが夕食直前ぐらいだったので、館内の散策は翌朝に。
あろうことかデジカメで料理の写真を撮ってなかったようで、残ってるのはこのツイートだけ。。

料理のお皿も酒器もすべてが備前焼という、これ以上ないような贅沢な食卓だった。
少食の自分にとっては丁度いいぐらいの絶妙な量もよかった。

一枚だけ夜の館内を。
廊下に面した中庭を望む。この廊下、玄関からずっと続いておりとにかく長い。

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あくる朝

夕食後、女将さんから思いがけない提案があった。

女将「明日の朝ごはんを、あちらの南天の間で召し上がられませんか?」

「是非お願いします!」

 

夕食より朝食のほうが楽しみなんて、これまで旅館に泊まってこんなことあっただろうか。
朝は早起きして片上宿の町並みを歩いてみたが、建物的には本当に名残がなくて残念ながら写真だけで記事にするのは無理という判断になった。

散歩して小腹が空いた頃、意を決して朝食会場へ…。

(ドキドキ…)

南天の間

今から137年前。

明治18年8月7日、明治天皇が昼食を召し上がった由緒ある部屋がこの「南天の間」である。

岡山へ行幸された際、当初は近くの警察署で、という予定だったのが、あまりに暑いので急遽荒木旅館さんに変更されたそうだ。

女将「うちのひいおじいさんがお籠を担ぐ一人に選ばれましてね。天皇を拝顔したら目がつぶれると言われてた時代、片目をつぶって、もう片方はつぶれてもいいやと思って担いだら・・・つぶれなかった、と。そんなオチがあるんですね」

「わはは(笑)」

南天の間はコロナ禍になってから聚楽壁を塗り替えたそうで、以前より明るい雰囲気になったと仰っていた。

(この空間に明治天皇がいたのか・・なんか不思議な感じだ)

朝も写真撮ってなかった…。
いつもならこんなことないのに、この日に限って何やってたんだろう。

(最高の思い出は逆に写真なんかないほうがいいのかもな…)

襖の引き手が実に艶やか。

「南天の間」の入口には、明治天皇にまつわるエピソードが書かれた案内板。

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応接室

最近キレイにして見学可能な状態になった応接室を、幸運にも見させて頂くことができた。

女将さん曰く、この部屋は当時こういうのが流行った1900年前後ではなかろうかと言うことだった。
明治後期ぐらいになろうか。

ガラスに刻まれた應接室の字が時代を感じさせる。

調度品に惚れ惚れしてしまう。

ペンダント照明は確かガラス製と仰っていた。
但し、電球はLEDとのことで。

白色光なのがちょっと惜しいかなぁ。
部屋の雰囲気的に3000Kぐらいの電球色を入れたほうが合うと思うんだけどね。

と、ここらで一旦区切ります。

(2ページ目へ続く)

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