引き続き篠島の路地裏を歩いて行こう。
そう言えばうっかりしていた。
篠島がどんな島か、についてまだ書いていなかった。
篠島を知る
ざっと篠島の概況について書いてみようと思う。
周囲6.7km、人口は約1,600人。
豊富な水揚げ量を誇る漁業の島だが、名古屋から近いこともあって年間観光客15万人が訪れる観光の島でもある。
漁業では、漁獲高日本一とも言われるしらすやイカナゴ漁が盛ん。
あと、これは全然イメージなかったけど、実はフグの漁獲量が驚くほど多い。
今ではフグと言えば下関だが、かつてはトラフグは愛知県が全国一位だったそうだ。
ちなみに、篠島のキャッチコピーは『おんべ鯛とふぐの島』である。
アクセスは、知多半島の突端、師崎港から高速船に乗るか、電車の場合は河和駅まで名鉄で行き、河和港から高速船に乗る。
河和港からの便は伊良湖港まで行くので、渥美半島側からもアクセスできる。
これは余談だが、筆者は長い間「伊良湖岬」の読み方を“いらこみさき”だと思っていた。
篠島の路地裏は、角を曲がるたびに別人のような表情を旅人に見せてくれる。
最高地点は49mとそこまで高くはないが、集落自体が丘陵地にあるので視界が開けると気持ちがいい。
この蔵のような建物は、かつての造り酒屋だそうだ。
真水の確保に苦労する離島で造り酒屋があったというのは意外でしかなかった。
一体どんな酒を醸していたのだろうか。
まるでボッコボコに打ちのめされたボクサーのように痛々しい姿をした草ヒロに出会った。
これは酷い…。
まるで遊里を思わせるベンガラ調の民家。
民宿か何かだろうか。
おもむろに現れた「帝井」なる井戸にはこんな逸話がある。
時は南北朝時代。後醍醐天皇の息子、義良親王が東北への遠征の際、嵐に見舞われ篠島に漂着した。
当時、島にあった井戸は飲水には向かないものばかり。島民が親王のために掘ったのがこの井戸、ということらしい。
やっと島の南部まで来た。正面に見える小島は「小山島」。
さすがに海岸線一周する気はなかったので、島の反対側へ向けようと内陸へ向かったらなかなかの道だった…。
篠島中学校の前を通り過ぎると視界が開けた。
この近くに、島の最高所「熊ノ山」がある。
再びサンサンビーチに戻ってくると、そこには謎のオブジェ。
恋人の聖地的なアレかと思ったら、やっぱり恋人の聖地的なアレだった(笑)
駐在所の脇道を入ると、そこにもそこそこの規模の集落がある。
ここもまた、模範的な漁村集落の特徴が顕著に見られた。
この階段の上り下りは高齢者には堪えるだろうな。
離島に住む。
を本気で検討する日が来るとしたら。
それはやはり足腰が元気なうちにだろう、と思う。
まぁ、離島に限らず長崎みたいに坂の多いまちもまた然り、である。
朝起きて海を眺め。
一日が終わる頃、水平線に沈んでゆく夕陽を眺め。
そんな生活には、やはり強烈に憧れる。
しらす水揚げ量日本一の島に来てしらすを食べんわけにはいかないので、お昼ご飯は予定調和的にこうなった。
お腹も満たされたところで、次なる目的地へと向かうことにした。
今思い出しても、篠島は素敵な島だった。
いつの日か。今度は泊まりで訪れたい。
[訪問日:2020年12月27日]
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