重伝建・オブ・静岡。旧東海道の山村集落、焼津市『花沢の里』

静岡県
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マグロやカツオなど、もっぱら“海の街”のイメージが強い静岡県は焼津市。
しかしながら、市の北端、静岡市と接するエリアだけは別。山々に囲まれ、他の場所とは性格を異にしている。

静岡県唯一の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)、『花沢の里』があるのもこのエリアである。

『花沢の里』があるのは日本坂トンネルのすぐ近く。
東名高速を走ったことがある方であれば理解が早いだろう。

国道150号線を静岡方面に向かい、新日本坂トンネルに差し掛かる手前で北へ進路を変え、山のほうへ走ると5分とかからないぐらいで花沢地区へと至る。

保存地区には駐車場がないので、クルマの場合は手前にある「花沢の里観光駐車場」に停めよう。

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旧東海道の古い集落

「花沢の里」は万葉集で「やきつべの小径」と詠まれた、奈良時代の東海道沿いにある30戸ほどの山村集落である。

やきつべは「焼津辺」と当てられ、焼津の地名の由来になったと推測できる。

花沢地区ビジターセンター

東海道は中世以降はここから北寄りの宇津ノ谷峠を越えるルートとなったが、それ以前は花沢を経て日本坂峠を越えていた。

宇津ノ谷峠の記事で国道1号線の明治、大正、昭和の話を書いたが、言わば国道150号線と東名高速はそれよりはるか昔の東海道だったということになろう。

「花沢の里」は2014年に「山村集落」として重伝建となったが、一体どのあたりが評価されたのか町並みを眺めながら考察していこうと思う。

花沢の集落は細長い谷地の川沿いに形成されており、南以外の三方を山々に囲まれている。
町並みは、周囲の自然環境に似つかわしくないような石垣と板張りの建物が連続している。

建物は時代とともに増改築されていったそうだが、概ね江戸時代以来の伝統と様式をそのまま今に残している。

江戸時代はこうぞ、みつまた(ともに和紙の原料)などの栽培、薪炭の生産を生業としていたが、明治以降は養蚕の他、茶やみかんの栽培が行われるようになっていった。

昭和に入るとみかん栽培が全盛期を迎え、季節労働者などが多く集まるようになったと言う。
主屋の他に、季節労働者向けの部屋がある「附属屋」がつくられたのもこの頃である。

12月も終わるというのにまだ紅葉が楽しめるとは思わなかった。
静岡がことさら温暖であることをこのときまですっかり忘れていた。

集落の立派な建物群は、近代にみかんや茶の栽培で財を成した名残と言える。
周辺には石垣で築かれたみかん畑や茶畑も残り、特徴的な景観を今に残している。

苔むした石垣が歴史を感じさせる

特徴的な石垣は、無論傾斜をなくすために築かれたものだ。
狭小な谷地に集落をつくる上では、必要不可欠なものだったと言えるだろう。

建物や石垣は言わずもがな、みかん畑や茶畑、他にも供養塔や道標などの石造物も残り、周辺環境と一体となって歴史的風致を今によく伝えている。

花沢地区が重伝建に選定されたのも、一言で表せば「そりゃそうだよね」と言ったところだろう。

しかし何て美しい集落なのだろうか。
ハイカーを何人も見かけたが、ここから日本坂峠や鞍掛峠へのハイキングコースが伸びている。

静岡市と焼津市の境界にあたる「満観峰」の他、宇津ノ谷峠へも徒歩で行くことができる。

熊注意!!

そういや学生時代に「高草山でクマが出た」って聞いたことがある。
このへん、ホントにいるのね…。

下見板張りの附属屋や蔵はさながら船主集落のそれを思わせる。
改めて、独自色の強い集落だと感じさせられる。

保存地区は東西約240m、南北約800mと言う広さだが、そのうち旧街道が通っている部分は東西約50m、南北約500mの範囲となる。

集落の北端には江戸時代創建の「法華寺」があるが、コロナのせいで境内立入禁止となっていた…。

集落の住人だろうか。
朝からほのぼのした場面に出会えて少し気分がほっこりした。

「花沢の里」は今でも住人が暮らす集落であり基本的に一般公開はされていなかったが、長年空き家となっていた建物を整備改修し、2021年3月に「花沢地区ビジターセンター」として開設した。

観光案内所やハイカーの休憩所、地区住民の集いの場として活用されているそうだ。

集落内にある古民家カフェがお菓子の無人販売をしていたので、シフォンケーキとレモンケーキをそれぞれお買い上げ。

大変美味しゅうございました。

[訪問日:2020年12月29日]


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