中山道と北国街道の分岐点。江戸の面影を残す「鳥居本宿」をゆく

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醒井宿を発ち、次に寄ったのは同じく中山道の「鳥居本宿」。
2つ先にあたる、63番目の宿場である。

宿場のすぐそばにある近江鉄道の鳥居本駅。まずこの駅舎が素晴らしい。
昭和6年開業当時のものだそうだ。

線路のすぐ前が現中山道(8号線)で、さらに一本向こう側に旧中山道が並行している。
醒井宿以上に駅から近い宿場である。

醒井と鳥居本の間に62番目の「番場宿」があるが、もうほとんど宿場の名残は残っていない。

この鳥居本宿は中山道の宿場でありながら、同時に北国街道(北陸道)の起点となっている。
クルマで走ったことのある方であればお分かりいただけると思うが、米原駅の少し北寄りに8号線と21号線の分岐点がある。
ここで江戸方面と北陸方面に分かれるのである。

余談だが、鳥居本宿の少し北に「中山道・北国街道分岐道標」があるので興味のある方はどうぞ。

脇本陣・問屋跡

天保年間の記録によれば、鳥居本宿には本陣1軒、脇本陣が2軒、そして旅籠が35軒あったようだ。
問屋を兼ねた脇本陣があった場所に案内板が残っていた。

鳥居本は“合羽”が特産品で、江戸時代から1970年代まで盛んに製造されていた。
今では看板のみが、産地としての歴史を伝えている。

これな。

この家は「松屋」の屋号で合羽の製造を行っていた。

今、合羽と言うとナイロンやビニールのレインコートを想像するが、江戸時代のそれは和紙だった。
鳥居本ではこれに柿渋を塗って保湿性と防湿性を高めたものが作られ、そのクオリティの高さから、雨が多い木曽路に向かう旅人たちにことさら重宝されたそうだ。

まだ歩き始めて間もないと言うのに、それにしても古い町家が良好に残っている。

実は鳥居本宿は、以前カーナビに連れて行かれてたまたまクルマで走ったときに「なんだここ…古い建物がめちゃめちゃ残っとるぞ!?」となって、調べてみたら中山道の宿場だったというオチでそのときからいつか歩かなければと思っていたのである。

割とね、よくあるんですよこういうこと(笑)

こちらは本陣があった寺村家の跡。
大幅にリノベーションされてるけど、元は厨子二階のオールドスタイルだったんだろうなぁ…と容易に想像がつく家屋が建っていた。

っと!登録有形文化財に登録されている模様。
ちょっとビックリした。

天保3(1832)年創業、合羽所「木綿屋」

ここもまた立派な看板が残っている。

こちらの建物はデイサービスに。

鳥居本宿はこんな感じ。
いかにも旧街道な道幅が往時を物語る。

ここは江戸時代、「米屋」の屋号で旅籠を営んでいたそうだ。

思った以上に見どころが多かった鳥居本宿。
一旦区切りましょう。

(2ページ目へ続く)

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