尼(尼崎)には心の底から礼賛したくなるような昭和遺産たるレトロ市場が数多く残っている。
が、多くのアーケードは住宅街に建設された代物で(住民のためのものだからそれはそうなのだが)、鉄道の駅から離れた辺鄙な場所にあったりする。
この日巡った中で最も駅から遠かったのが、2号線沿いにあるこの市場である。
西大島市場
東西に走る国道2号線と、南北に伸びる県道42号線「尼宝線」がクロスする場所で強烈な存在感を放つ「公認 西大島市場」。
見た目だけなら、昨今ではほとんどお目にかかれないレベルではないだろうか。
なかなかのビジュアル系である。
なお、勘のよい方はピンと来るかもしれないが「尼宝線」は尼崎と宝塚を結ぶ道で、名はこれが由来になっている。
ここまで来るにはJRの立花駅が最寄りとなるが、2kmはあるので歩けば30分ぐらいはかかるだろう。素直にバスに乗ったほうが良さそうな立地と言える。
早速中に入ってみると、見渡す限りのシャッターが視界を埋め尽くしていた。
おっと・・この展開はちょっと予想してなかったぞ。
市場の名になっている「西大島」は地名かと思ったらそうではなく、交差点の名前だった。
ここの住所は大庄北4丁目となるようだ。(もしかしたら昔の地名かもしれないが)
蛇足だが、都内に住んでる方は「にしおおじま」と読みたくなるかもしれないが、ここは普通に「にしおおしま」である。
文具券が懐かしすぎる…。
昔、図書券&文具券はギフト券の定番だったよね。
貰う機会も多かったし、よく図書券で漫画買ったりしたなぁ。
天井から吊るされた愛くるしいピンクの物体にはこう書かれていた。
SINCE 1956
にしおおしまいちば
なるほどなるほど。
どうやらこの市場は昭和31年からあるらしい。
今年で66年となるのか。
そりゃこうなったのも無理ないか…。
西大島市場は南北に100mほどの長さがあり、要所要所で東西に枝葉のような路地が伸びている。
しかしまぁ暗いこと。。
外に出てみる。
これだけ長くて店も多いと、自ずと入口も複数必要になるんだろう。
何より、開業当時はそれほど賑わってたのだろうし。
全滅かと思いきや、クリーニング店が営業していて少しほっとした。
やはりこの手の市場は縦構図が映える。
もう一軒営業していた。酒屋のようだ。
しかし客はいない。
時折通行人に出会ったが、買い物ではなく抜け道に使っているようだった。
市場としてはなかなか厳しい現実を露呈していた。
まるで富田林寺内町の「あてまげ」のように、前方に伸びる道が微妙にずれている。
外へ出てみる。
西大島市場の建物がどれほど壮絶だったかをここで知ることになった。
まだ人が住んでいるような気配…。
昔よくあった、商店と住居が隣接するタイプなのだろうか。
この木造アパートも、ものすごい築年数をしていることだろう。
尼崎の下町には、まだまだこういう木造建築が残っている。非常に歩きがいのある街なのだ。
おや?市場の名前が変わった!?
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