まちの歴史は奥が深い。
得てして、各駅列車しか停まらないようなマイナーなまちに限ってただならぬ歴史を秘めていたりするのだから面白い。
大阪の高槻市にある摂津富田はまさにその代表格だろうと思う。
高槻駅のお隣、摂津富田。読み方は「とみた」では「とんだ」である。
阪急の富田駅も近く、徒歩3分ほどの場所にある。
この富田は、室町時代から寺内町として栄え、さらに江戸時代には宿場町、酒造の町としても名を馳せた、文字通りただならぬ歴史を秘めたまちなのだ。
今日はこの富田をぶらぶらと歩いてみよう。
まず、現在の地図から昔のまちの範囲を見てみよう。
紫:東岡宿(江戸時代の宿場町)
黄色:寺内町(富田はじまりの地)
緑:西富田(富田で最も古い集落)
ご覧の通り、歴史の町並みは阪急富田駅の南側に広がっている。
もちろん、色付けしていない場所にも伝統的建造物は点在していることをここでは付け加えておく。
かなり範囲が広いこともあって、この日は東岡宿はスルーし寺内町と西富田のあたりを歩くことにした。
寺内町へ
延命地蔵尊と道標
道標の文字は
右 大坂
左 京
実際のところ、歩いてみると普通の住宅街の装いをしている。
ただ、こんな古そうな蔵があったり時折歴史を感じさせる建物に出会う。
こちらの老舗料亭「きんなべ」は、江戸時代には長福寺というお寺があった場所で、江戸中期からこの場所で営業を続けている(創業はもっと古い)そうだ。
近くにあるレストラン。
古い町家をリノベーションしたような佇まい。
伝統的な厨子二階&虫籠窓スタイル。
とんださけ
良質な伏流水に恵まれた富田では江戸初期に酒造業が興り、池田・伊丹と並び「北摂三銘酒」と呼ばれるなど銘酒の町として一時期名を馳せた。
富田酒(とんださけ)の名で、遠く江戸にもその名を轟かせたのである。
全盛期には24軒もの造り酒屋あったが、灘(灘五郷)の台頭で衰退し、現在は二軒を残すのみとなっている。
こちらがそのうちの一軒「清鶴酒造」さん。
ちなみに、池田と伊丹も酒造業はほそぼそと続いており、池田のほうは「呉春」がとにかく有名。銘柄自体は聞いたことある方も多いだろう。
伊丹は小西酒造と伊丹老松酒造が頑張っている。前者はクラフトビールを得意としており、有馬温泉の地ビール「有馬麦酒」を製造している。
酒の話を始めたら止まらなくなるのでこのへんで自粛しますw
そしてこちらが富田はじまりの地でもある「教行寺」。
室町時代に蓮如上人が富田道場を開き、後にお寺となったが、富田はこの教行寺の寺内町として発展していった。
寺内町から西富田に入ったあたりに、大峰講の石灯籠が立っている。
「大峰講」というのは大峰山を参拝する講(修験者の集団)のことで、富田の講は「日丸講」と言ったそうだ。
大峰山の話はコチラへ↓
その先の角に石敢當(厄除けの石碑)があった。
ここがかつてまちの出入り口だったことを意味している。
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