吉野の山奥にある、奈良県の天川村(てんかわむら)をご存知だろうか。
この天川村に、特異な歴史を持つ温泉街、『洞川温泉郷』がある。これまた初見ではなかなか読めない。「ほらがわ」ではなく「どろがわ」である。
いつか泊まりで訪れたいと虎視眈々と機会を窺っていた洞川温泉に、昨年9月漸くその機会を得た。
About 洞川温泉
前回の記事で紹介した下市から南へちょうど30km。
何でこんなところにこんな立派な温泉街が?と言いたくなるような山深い場所に洞川温泉はある。
実は、古くから修験道の山として知られる「大峯山(おおみねさん)」の登山口にあたり、洞川は行者たちの宿場として栄えてきたのである。
大峯山は一般的には「大峰山」のほうが表記的にはよく見られる。
洞川温泉から登る大峰山は「山上ヶ岳」のことを指すが、登山を嗜む人であればここら一帯の大峰山脈のことになり、その中でも近畿最高峰の「八経ヶ岳」と解釈する人が多い。
これは、深田久弥が著した「日本百名山」で大峰山が八経ヶ岳の標高(1,915m)で紹介されているのが理由である。
温泉街を歩くとこんな感じの昔ながらの旅館が立ち並び、昔日の風情を忠実に伝えている。
最たる特徴がこの開放的な縁側である。
白足袋&わらじ履きの行者たちは、まず縁側に座り、足を洗ってから部屋に入ったのだそうだ。
フルオープンになってるのは一度に多くの人が洗えるように、との配慮からで今でもその名残が息づいている。
ってことが案内板に書いてあるので是非現地でご一読くださいw
温泉街は川に沿って約800m。普通に歩いて10分ぐらいの長さである。
旅館、民宿は約20軒、その他みやげ屋などが10軒ほど。歩くにはちょうどいい規模感だ。
たばこかと思ったらステッカーだった(笑)
各旅館の軒先には提灯がぶら下がり、もちろん夜には一斉に点灯する。一帯がどういう雰囲気になるか容易くイメージできよう。泊まりで来たかった理由はまさにこの点にある。
ご覧のように標高がまぁまぁあるので、9月末と言えど夜は少し肌寒いぐらいだった。
時期にもよるが、泊まりで行かれる方は服装には要注意である。
話を修験道に戻そう。
山上ヶ岳の山頂には「大峯山寺」という寺院が立ち、付近には宿坊もいくつかある。
興味深いのは、山全体を聖域として平安時代から女人禁制を敷いており、道中には「女人結界門」がある。
1,300年という長い間守られてきた伝統で、かつてはこういう霊場があちこちにあったが今でもこの習慣が残っているのは珍しいようだ。
なお、八経ヶ岳のある弥山も元々は女人禁制だったが、戦後解禁されたそうだ。
今、純粋に修験目的で洞川温泉に泊まりに来る人は一体どれぐらいいるのだろうか。
と言うか、修験宿であることすら知らずに来る人のほうが圧倒的に多い気がする。
修験道としては1,300年という歴史を持つ洞川だが、実は開湯は昭和後期。温泉街としてはまだ40年足らずなのだ。
ただ、温泉が湧いたことで“温泉街”としてPRすることに成功し、幸か不幸か世間のイメージは『山間のレトロな温泉街』ですっかり定着してしまったようである。
ひとつ、「陀羅尼助」という特産品があるがそれについては後ほど。
この日お世話になった「いろは旅館」さん。
洞川の旅館は、ご覧のように二階の各部屋にガラス張りの広縁が設えられていて通りや山並みがよく見渡せるようになっている。(逆に言えば下から丸見えなんだけどw)
駐車場事情についても少し。
そもそもが修験宿なこともあってか、大型の旅館は皆無。
敷地内に駐車場がある宿はほとんどなさそうだった。
筆者はそこそこ離れたところに案内され、ご主人にクルマで送迎してもらった。
まぁ、このあたりは宿によりけりだと思う。
アクセス的には、結構な山の中ではあるが国道309号線を大阪方面から来る分には離合困難な山道などもなく、ペーパーに近いドライバーでも問題ないと思う。
一応、下市口からバス1本で来れるのでクルマがなくても大丈夫。
各旅館に吊るされた提灯には「講」の名前が書かれている。
講とはいわゆる山岳信仰における行者の集団のことで、各講には定宿があるのだそうだ。
とある旅館の玄関。
…すいません、玄関も縁側も開けっ放しだったんでちょっと覗かせてもらいましたw
この旅館はすごかった。庭園が見事!
ぶらぶら歩いてたら端っこまで来たようだ。
メインストリートはここまで。
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