比類なきデュアル陣屋町。岡山市庭瀬・撫川の町並みを歩く

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岡山駅から西へ2駅の「庭瀬」には、今も古い町並みが残っている。
通り道だったこともあって、ちょっと寄ってみることにした。

庭瀬城跡の前に小さな観光駐車場があった。そこにクルマを滑り込ませた。
おあつらえ向きに散策マップが置いてあったので、概ねモデルコースに沿って歩くことにした。

庭瀬は水路が張り巡らされたいわゆる水郷の町である。
最近の家もこんな風に水際に建てられてたりしていて、珍しい光景が拝める。

洗濯物が飛ばされたらキッツイだろうなぁこれ。。

この庭瀬城は戦国時代に築城されたが、江戸初期には廃城されている。

関ヶ原の戦いで戦功をあげた戸川達安が庭瀬の3万石を与えられて入城。
その際、城は棄却し庭瀬陣屋として整備した。

戸川家は4代で途絶えて改易となるが、その後は藩主が入れ替わりながらも江戸時代が終わるまで庭瀬陣屋は存続した。

戸川家の菩提寺でもあった「不変院」。

元禄12(1699)年に入封した板倉重高が、板倉家の菩提寺とした松林寺。

中世の頃から水に恵まれていた庭瀬は、鎌倉時代に庭瀬港(内港)が整備され、水運で栄えた。
旧庭瀬港には常夜灯が建っていて往時の雰囲気を偲ばせている。

庭瀬港の前で見かけた商家風建築。

庭瀬港の西側に架かる橋は、かつて庭瀬城の大手門だった。

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庭瀬往来

江戸時代、岡山藩は岡山城下を中心に6本の官道を放射状に整備した。
そのうちのひとつが庭瀬往来。鴨方往来とも言う。

県道162号線の南側に並行する庭瀬往来。
古い町並みはこの街道に沿って展開している。

足守大井でも見られたタイプの町家。

現在の庭瀬往来。
実際のところ、古い商家はそれほど残っているわけではない。

江戸時代創業の味噌・醤油醸造元「川野屋商店」。
今はもう製造はしてないそうで、倉敷の老舗醤油蔵が味と製法を引き継いでいるとのことだ。

川野屋商店の斜向かいにある薬屋。

現役ではなさそうだから、正しくは元薬屋になるんだろうけど。

その先で掘割を渡る。
かつて、写真を撮っている場所あたりに常夜灯が建っていたが、歩道を作る際に撤去し、隣にある信城寺の境内に移動させたそうだ(正面に見えてるヤツがそう)

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