倉敷からクルマでも電車でも約30分。
岡山県南西部にある「矢掛町(やかげちょう)」は西国街道(旧山陽道)の宿場町として長年栄えてきたまちである。
この矢掛が、令和2(2020)年12月に種別「宿場町」で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されたことは記憶に新しい。
このときの旅では岡山を重点的に攻めたが、矢掛へ行くことが目的のかなり大きな部分を占めていた。
そんなわけで、玉島から一路矢掛へと移動した。
ひと月ほど前にオープンしたばかりの道の駅にクルマを停め、颯爽と宿場町へとくり出した。
About 矢掛宿
矢掛宿は、旧山陽道51次の18番目の宿場。
旧山陽道とは、西宮から下関へといたる全長約550kmの街道である。
なお、山陽道は西国街道と呼ばれることもあるが、西国街道は京都が起点となっていて西宮で山陽道と合流する。
南側を流れる小田川に沿うように、約900mに渡って古い町並みが続いている。
まちが出来たのは江戸初期、1620年頃のことで、1635(寛永12)年に参勤交代が制度化された際に矢掛は宿場に定められた。
矢掛の凄みを一言で言えば、本陣と脇本陣の建物が往時の姿で揃って現存し、これは日本広しと言えどもここ矢掛宿だけなのだそうだ。
ちなみに、これらは揃って国の重要文化財にもなっている。
これが旧矢掛脇本陣の「髙草家住宅」。
この表屋は江戸末期の建築だと言う。
脇本陣は土日のみ、10時から15時まで公開されている。
「髙草家」から名付けられた大髙草小路。
江戸時代の地割が残り、伝統的建造物も比較的よく残っている矢掛宿。
県の町並み保存地区にもなっているが、お世辞にも知名度が高いとは言えなかった。
実際、筆者はこんなブログを長年やっているが重伝建になって初めて知ったほどである。
これはひとえに、長年宿泊施設が一軒もないことが理由だったようだ。
山しかないのに山梨県よろしく、宿がないのに宿場町。
滞在型観光ができないのは観光地としては致命的である。
翻って、今は宿がある。
2015(平成27)年に築200年超の古民家を改築したお洒落な宿が登場し、そこから矢掛の知名度も爆上がりすることになる。
観光客も20倍以上増えたそうだ。
2016年には無電柱化に向けた調査も始まり、重伝建へと向けた動きも加速。
平成最後の年には保存に関する条例が制定され、翌令和2年、晴れて重伝建へ。
そして、2021年には宿場町の区間のうち約500mが無電柱化、さらに道の駅開業と今なお目覚ましい進化をし続けている。
昨今、町並み界で最もホットな場所と言っても過言ではないかもしれない。
さて、矢掛の建物は妻入りと平入りが混在しており、整然さにはやや欠ける点がある。
そんな中、見どころとしても紹介されているのが「妻入り五軒並び」と称される商家群である。
上の写真の左側と、その先四軒がこちら。
いい塩梅に五軒を収めた写真がありませんでしたw
ここだけ建物の造りに連続性があって、ちょっとした“映えスポット”になっている。
私の写真はまったく映えてませんが
実はこの旧山陽道沿いは「矢掛商店街」としての顔も持っており、本陣、脇本陣、宿泊施設、銀行などを除けばほとんどが商店となっている。
と言うのも、今も昔もこの通りが矢掛の中心であるから、ということに他ならない。
商店街の北側に役場や学校、駅などが集積している。
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