新見の銀座通り商店街は、田原屋の前から約300m続いている。
全盛期は約80店舗が軒を連ね、身動きが取れないほど人で溢れかえっていたと言う。
しかし地方都市のお約束でもあるマイカーの普及で郊外、市外の大型店に客が流れ、徐々に衰退して行くことに。
老朽化したアーケードの撤去も、直接的には買い物客の減少で維持管理費用を工面できなくなったことが原因とのことで、確かにシャッターが閉まった店舗や駐車場、空き地が比較的よく目についた。
それでも、昭和の面影をそこかしこに残す商店街は純粋に歩いていて楽しかった。
人でごった返していた時代を懐古すると、不思議と穏やかな気持ちになれた。
ちょうどそんなときだった・・・目の前にヤツが現れたのは。
( ゚д゚) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
ガ━━(゚Д゚;)━━ン!
な、な、な、なんだこれは・・・
それは、佐々奈美精肉店と穿たれた、まごうことなき肉屋だった。
膝から崩れ落ちそうなほどの衝撃だった。
まさかこんな無差別級のリーサル・ウェポンが飛び出すとは。。
よくよく周りに目を走らせると、目の前にもこんな建物が。
さらに道をまたいだ食堂まで。
怒涛の看板建築群。一体どうなってるんだこの町は・・。
まさかこんな、何も期待せずにやって来た山間の地方都市でこれほどの建物に出会えるとは。
これこそがまち歩きの奥深さなのだろう。
駅方面まで足を伸ばして正解だった。
御殿町で帰っていたら、三日三晩は後悔で眠れなかったかもしれない。
味のある荒木酒店を横目にお茶屋橋を渡る。
昔は橋の袂に茶屋でもあったのだろうか。
このなんだかよくわからない支流は、橋の先で高梁川に注ぐ。
今回の旅、高梁川の舟運で栄えたまちばかり巡ってる気がするなぁ。たまたまだけど。
やっぱりあった夢の跡
駅の東側、川沿いから一本入った路地が新見の盛り場のようだった。
おっと!バーの鑑札発見。
セメントで栄えた頃なんぞはさぞ呑兵衛たちで賑やかだったんだろうなぁ。
なんて言いたくなるような路地が続いていた。
江戸~明治期の面影を残す御殿町に始まり、銀座通りの昭和遺産、昭和の盛り場まで。
新見は想像をはるかに超えるポテンシャルを秘めた町だった。
来てよかった。
んじゃ、そろそろ戻ろっかな。
お?なんかまだあったぞ。面白そうな建物・・
がっ!!?
ええぇ、まだこんな隠し玉がいたの。。?
この中島ビルは、1958年まで使用された「旧新見郵便局」だそうだ。
もちろん、肉屋に匹敵する衝撃だったことは言うまでもなく。。
久しぶりに面白い町に出会えた。
機会があれば飲み屋で昔の話なんか聞いてみるのも楽しそうだ。
いつの日か。
[訪問日:2021年5月2日]
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