新見を発ち、中国山地を北上した。
たどり着いたのはお隣、新庄村。
「日本で最も美しい村」を標榜する、人口800人足らずの小さな村である。
この新庄村には、かつて山陽と山陰をつないだ出雲街道の宿場町「新庄宿」がある。
近くの道の駅にクルマを停め、さて行くか…となったところで猛烈な雨が降ってきやがった。
何の嫌がらせだよ、ホント。。
仕方ないので土産を物色して、少し車内で待機。
ちょっとだけ雨が弱まったところで重い腰を上げた。
腰も重いが気も重い。
新庄宿は町並み保存地区として、観光向けに整備されているようだ。
新庄川を渡ると、そこが旧出雲街道。
石州瓦の家並みが旅人を迎えてくれた。
一応行政上は岡山だが、鳥取と面した新庄村は事実上山陰であることをその屋根瓦は物語っているようだった。
がいせん桜
新庄宿の最たる特徴は、何と言っても街道脇を埋め尽くす圧巻の桜並木である。
明治39年に日露戦争での勝利を記念して植樹されたソメイヨシノは通称「がいせん桜」と呼ばれる、新庄の春を彩る風物詩となっている。
来るのがもう2週間ぐらい早ければ満開の桜が見れたのになぁ、と嘆いたところでどうしようもない。
雨に滴る葉桜に風情を感じるぐらいのほうが自分にはちょうどいい。
新庄宿はどうだろう、距離にして600~700mぐらいだろうか。
宿場としては小さい部類に入ると思われるが、出雲街道随一の難所、四十曲峠を控える要所であったことから松江藩によって本陣が置かれるなど、その重要性が垣間見える。
かつては宿場らしく中央を水路が通っていたそうだが、今は両側に付け替えられている。
ゆるい坂道に沿って赤い瓦の古い家々が並び、水路と桜並木がその美しさを引き立てている。
実に風情溢れる景観である。
江戸末期の建物である「脇本陣 木代家」。
ミニ水車がめちゃくちゃ可愛い。
新庄宿メインストリート。
本陣の佐藤家があった場所。当時の建物は残っておらず、今あるのは明治後期の建築だそう。
松江藩の大名が通行のたびに休憩をしていたことで藩公認の「お茶屋」になり、宝暦7年に本陣に昇格。その頃から宿泊もするようになったのだと言う。
険しい峠を越え、ここに着いた大名一行はさぞかしほっと一息つけたことであろう。
そう言えば、町並み整備の一環だと思うけど、各家には昔の屋号が掲げられてていかにも宿場感が出てるのがよかった。
ちなみに本陣は「お茶屋」だった。
朱塗りの橋と石州瓦のマリアージュ。
風流っすなぁ。
こちらは「よこ屋」と書かれていた。
何屋だったんでしょう(笑)
元造り酒屋、かな?
2019年にオープンした築100年の古民家リノベーション宿、「須貝邸」。
一日二組限定だそうな。
ちょっと泊まってみたい。
町並み保存地区の名の通り、かなり修景が施されていたと見られる新庄宿。
整然とした気持ちのよい町並みだった。
また行くことがあるとしたら、今度は桜の時期に足を運んでみたい。
[訪問日:2021年5月2日]
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