長野県上田市 – 北国街道『柳町』の町並み

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2014年のシルバーウィーク。筆者は愛車とともに長野・新潟方面へ3泊4日のツーリングにくり出した。
というわけで、しばらくそっち方面の記事が続きますがしばしおつきあいください。
関越、上信越をひた走り、手始めに寄り道がてら長野県は上田市に赴いた。

上田は、真田氏が築いた上田城の城下町として発展した街で、ウィンタースポーツをやる方であればご存知菅平高原がある所である。だが、今日ではそれ以外に取り立てて有名なものがない。
なお、私事で恐縮だが、この街も前回綴った大垣同様、学生時代に就職活動で訪れたことがある。

02

高山彦根がそうであるように、城下町として発展した街には往時の名残をとどめる町並み保存地区が残っていることが多い。ここ上田にも「柳町」という界隈があり、ちょうど通り道だったので寄ってきたというわけ。

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北国街道

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上田駅から見て北、上田城から見て東にあたる柳町は、旧北国街道として賑わった歴史を持つ。玄関口に立つ案内版には以下のように書かれている。

真田昌幸(幸村の父)は、上田城を築き、約15年後の慶長3年(1598)、上田城下に北国街道が通ります。この北国街道は参勤交代の大名(加賀百万石など)や佐渡金山の金の通路として、また庶民の善光寺参りの参道として大変賑わいました。柳町が面する通りが北国街道です。

と往時の活況ぶりがビリビリ伝わってくるが、今や昔日の面影はずいぶんと失われてしまっている。

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ということは、これがかつての北国街道ですか。ちなみに読み方は「きたぐにかいどう」ではなく「ほっこくかいどう」。
佐渡で掘られた金の運び屋が、一歩一歩踏みしめながら江戸を目指した道。歴史の重みを感じますな。

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ここの見所は、江戸末期から明治にかけての二階建て平入りの町屋、そして所々見られる「うだつ」。
賑わいはなくなっても、300mほど続く通りには往時の雰囲気を色濃く残す町並みが残っている。むしろ現代ではこっちのほうがはるかに貴重である。

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酒屋には、今ではあまり見ることのなくなった杉玉。
どうにも最近じゃ酒屋のシンボルか何かだと思われがちだが、かつては新酒ができたことを客に知らせる役割を担っていた。

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二階の格子を注意深く見ると、長いものと短いものが交互に続く独特の様式をしている。
これは「親付き切り子格子」いい、現在でこれがよく見られるのは上田の市街地では柳町だけになってしまったとか。

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柳町は、駅から微妙に離れていたせいか近代化に取り残されてしまうが、結果的にはそれが奏功して古い町並みが残ったことで「よし、じゃあ保存しようぜ」という流れになり1992年にまちづくり協議会が発足。

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景観整備に加え、積極的に新店の誘致を行い、その努力が少しずつ結実してまちには活気が蘇った。
そして今ではドラマのロケに使われたり数多くの観光客がつめかける場所になっているのは周知の事実である。

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ああぁ、ちょっと傾いてるじゃん・・。補正すればいいんだけど、自分を戒める意味であえてそのまま掲載。長いこと旅行写真撮ってるわりにはちっとも上達しない(嘆)

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可愛らしい袖うだつ。
元来、うだつは防火壁の役目を果たしていたが、江戸時代中期頃から装飾的な意味合いに変化し、財力を誇示する目的でうだつを上げるようになったそうである。
これが、「生活や地位が向上しない」の意を持つうだつが上がらないの語源になったという。

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こちらは現役の針灸院。こんな素敵な町屋でだったら針を刺されるのも悪くないかもしれないw

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その名に違わず昔から柳の木が多い通りだったそうで、それは現在もしっかりと受け継がれている。うだつと柳の競演が素晴らしい。
どうでもいいけど、もしこれが見返り柳だったら「何回振り返ればいいんだよ!」ってなって地味にシュール。

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「保名水」という湧水が湧いている。
これを飲んだら力がみなぎって翼が生えるらしい(大嘘)

そう言えば書き忘れたけど、ここの町並みにはもうひとつ特徴があって、屋根の高さがほぼ統一されていて非常に調和の取れた景観になっている。
歩く際は、そんなことにも意識を向けてみるとまた「気付き」があって面白いと思います。

[訪問日:2014年9月20日]

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