長野駅から長野電鉄で30分ほどの須坂市は江戸時代、須坂藩主堀氏の陣屋町だった町である。
大笹街道(現国道406号)、谷街道、山田街道と3本の街道が交差する交通の要衝でもあり、物資の集散地としても栄えた。
明治から昭和初期にかけては近代製糸業が発展し、豪商が次々と誕生。
その時期に建築された豪壮な土蔵が今なお数多く残り、『蔵の町並み』として整備されている。
そんなわけでやって来ました須坂市。ちなみに読み方は「すさか」ではなく「すざか」である。
なお、この前日に行った小布施とは隣町という位置関係。
小布施は二度目だったけど須坂に来たのは完全に初めてだったと思う。
まだ朝の10時と言うのにこの日も身の危険を感じるような暑さだった。
今日ではや三日目。信州は多少涼しいだろうと来る前に抱いていた淡い期待はすでに粉々に砕け散って粉塵と化していた。
盆地だけに、標高低い場所は逆に沿岸部より暑いんじゃないかとさえ思った。
蔵の町並みは、ざっくり言うと須坂駅の東側のエリアに広がっている。
それなりに広範なのでそのつもりでしっかりと準備しておいてほしい。
まずは本町通りから見て行った。
確かに古そうな商家が良好に残っている。
蔵はいまだに蔵のままなわけではなく、商店をはじめ、何らかの形で活かされて今に至っている。
蚕糸の他、酒造業や呉服商も営んでいた豪商、旧小田切家。
茶舗の佐藤家。
三階の望楼(防災目的で造られたもの)が特徴的。
登録有形文化財の旧越家住宅。
明治45年、須坂の製糸王・越寿三郎が息子のために買った邸宅だそうな。
続いて谷街道を西へ。
手前の建物は江戸後期と言われている小林家。製糸業を営んでいた。
ふれあい館まゆぐら
旧田尻製糸の繭蔵として使用されていたこちらの3階建ては移転、改修ののち「ふれあい館まゆぐら」としてオープン。
ちなみに国登録有形文化財。
館内では生糸関係の展示が見られる。
この建物、道路の整備で解体される予定だったところを歴史的に貴重だからと残すことが決まり、曳き家移転を行ったそうな。
元々は南東に約180m離れたところに立っていたらしい。
解体されてたら二度と元通りになることはなかったわけで。
よかったなぁ、ホント。
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