真田家十万石の城下町。信州松代歴史さんぽ

長野県
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今は編入されて長野市の一部になっている松代町(まつしろまち)は、武田信玄と上杉謙信が一戦を交えた、かの有名な「川中島の戦い」において武田氏が海津城を築いた場所である。
武田家滅亡後は1600年に森忠政が入封し、待城(まつしろ)と改称。1603年には松平忠輝が入封し、この松平の時代に松城と改名。

そして1622年、上田から真田幸村の兄、真田信之が13万石で入城し、以後、松代は250年に渡り真田家に統治されることになる。
この真田時代に、幕府の命によって松代と改名している。

真田宝物館

そんな松代には、松代城跡をはじめ城下町時代の名残がそこここに残り、歴史や文化を感じられることから多くの観光客が足を運ぶ。
もちろんこの日の筆者もそのうちの一人である。

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旧樋口家住宅

まずは真田家の家臣だったと言う旧樋口家を見ることに。

樋口家は藩士として目付役などを務め、江戸末期には230石を持つ上級武士だったそうだ。

雑木林となっているところは以前は畑として使用されていたらしい。

樋口家の文書によれば、当地へ移り住んだのが明和2(1765)年。
主屋は文久2(1862)年に修理されたことが判明しているので少なくともそれよりは前の建物だそうだ。

ざっと200年とちょっとと言ったところだろうか。

この建物を無料公開しちゃうなんて長野市もずいぶん気前がいいですね。
ここは是非立ち寄っていただければ!

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旧真田邸

江戸末期に第九代の松代藩主、真田幸教が建てた住居が旧真田邸。
松代城跡の建物としては唯一当時のまま残ったという貴重な建物。

まぁ、入らなかったんだけどね(笑)

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松代城跡

続いて松代城へ。

松代城は1872(明治5)年に廃城となり、跡地は畑や宅地となった。
明治末期に真田家が買い戻し、本丸跡地を遊園地として開放。
その後紆余曲折あり、現在は城址公園として整備されている。

復元された北不明門

2004年には堀、石垣、土塁などが復元されいよいよ城っぽくなったようで、日本100名城にも選定されているとか。

確かにすごく城っぽい。というか完全に城だ…。

城跡から南へ。
真田邸の西側に面した路地がめちゃめちゃいい雰囲気。

南側も良き。

「中の辻」と呼ばれる枡形に面して、松代藩文武学校がある。
八代藩主の真田幸貫が開校した藩校で、現在も開校当時の姿をほぼとどめているそう。

松代藩の中級武士、白井家の表門を移築復元した「旧白井家表門」。
弘化3(1846)年の建築だそうな。

駆け足だったけど、以上で松代編は終わり。
非常に城下町風情の感じられる町並みだった。

ここから少し南に行ったところに、太平洋戦争末期に大本営の移転候補地として密かに整備されていた地下壕「松代大本営跡」があるので興味のある方は併せてどうぞ。

めちゃめちゃ興味あったんだけど、帰ってから知って地団駄踏みました😑

おしまい。

[訪問日:2021年7月24日]


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