富山の福光町(現南砺市)にはかつて遊郭があった。
明治33(1900)年に貸座敷営業免許地の指定を受け、まちに散在していた料理屋を観音町の1ヶ所に集める形でわずか10ヶ月で開業した。
今はどんな風になっているのか。
遊郭の名残を求め、現地へと足を運んだ。
かつての指定地は福光駅の北西500mほどのところにあった。
そこだけ不自然に幅の広い目抜き通りが、街の系譜を雄弁に物語っていた。
小矢部川のほとりに貸座敷が立ち並ぶ、さぞかし風流な色街だったのだろう。
現在は狭い範囲にクラブやスナックが20軒ほど営業し、往時の面影を色濃く残している。
目抜き通りの入口に建立されている稲荷神社。
遊郭の業者が京都から勧請したことや、観音町が当時は「末広町」と言ったことなどが案内板に書かれていた。
まずは目抜き通りから見て行くことにしよう。
おなじみ、昭和5(1930)年の『全国遊廓案内』には以下の記載が見られる。
福光町遊廓は富山県福光町に在って、鉄道は北陸本線福光駅で下車する。
貸座敷は目下十四軒あって、娼妓は約廿人居る。石川県、富山県の女が多い。(中略)
開業時は10軒だったのに対して軒数の増加が見られる。「県内の三大遊郭」と言われたほどの福光町。やはりそれなりに繁盛したのだろう。
ピークは戦前で、芸妓も150人ほど在籍していたそうだ。
毎夜三味線の音が響き、それは賑やかだったと言う。
売春防止法後はどうなったのか。
これはもう見ての通りだが、バーやクラブ、小料理屋などにそれぞれ転換をはかったようだ。
「ふくみつ廓廻り唄」の歌碑。
なんと・・公式テーマソングまであったとは😲
観音町の開業当時から変わらぬ佇まいで此処に在り続ける料亭旅館「松風樓(しょうふうろう)」。
経営難からの回復を経て、登録有形文化財にもなった建物がまちの歴史を今に伝えている。
なお、筆者が訪れたときはまだ現役だったが、昨年6月、惜しまれながら122年の歴史に幕を下ろした。
通りの両側に石灯籠が建てられ、さながら参道のような雰囲気を醸している。
あるいは本当に稲荷神社の参道としての意味合いだったのかもしれない。
今立っている後ろが小矢部川になる。
降り続いた雨で川は濁流と化し、水位もかなり危険なところまで上がっていた。
そのまま路地散策へと身を委ねる。
謎の洋風建築と雀荘に挟まれた細い路地に、まるで何かに導かれるかのように吸い込まれて行く。
そこで筆者は信じられないようなレアキャラとの邂逅を果たした。
天候に苦しめられながらもはるばる富山まで来た甲斐があった。
このときはとんと認識できていなかったが、焼肉屋の隣の建物は転業旅館だったようだ。
是非機会があれば投宿してみたいものだ。
続いて稲荷神社の南へ。
不幸にも、この一角は根こそぎごっそり持っていかれてしまっていた。
在りし日の姿はストリートビューで確認できる。
2019年に廃業した銭湯「小林浴場」。
創業はなんと遊郭より古い明治15年。
135年続く老舗も施設の老朽化には勝てなかったようだ。
転業組に見える松月さん。
居酒屋か小料理屋のように見えるがまだ営業しているのだろうか。
かつてはこの細い路地を芸妓がそぞろ歩いていたんでしょうな。
目抜き通りに面したスナック花月。
あぁ。昔は「花月楼」だったんだろうなぁ…と想像してみる。
尤も、開業当時の10軒には「花月」という名の貸座敷はなかったようだが。
こんなところで福光町遊郭の散策を終えようと思う。
此処にいる間だけ一時的に雨が小降りになってくれたので助かった。
[訪問日:2021年8月13日]
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