播磨国(姫路)と因幡国(鳥取)を結ぶ因幡街道は、播磨国から出雲国へ向かう出雲街道同様、古くから重要な役割を果たしてきた街道である。
以前「平福」の話を書いたが、その先で国境を越え、次の宿場で岡山に入る。
それが今回紹介する、美作市にある「大原宿」である。
智頭急行の大原駅から徒歩5分ぐらいと、アクセスも抜群。
クルマの場合は町並みのちょうど真ん中あたり、観光案内所の隣に駐車場がある。
という訳で、まずはその観光案内所から見て行きましょうか。
しかし真ん中からスタートってえらい中途半端だな(宿場は端から歩きたい人)
こちらが大原宿の観光案内所(旧本田家)。
民俗資料館を兼ねているので、ただパンフレット置いてあるだけじゃなくてちょっとした博物館のようになっていて楽しめる。
昔のTVと謎の箱(真空管ラジオかな?)
レンズはどこへ消えた?
大原宿の歴史を知ろう
時は戦国時代、この地にあった山王山城の城主が竹山城へと移り、それに伴って城下は「古町」と呼ばれるようになった。
後年因幡街道の宿場となるが、当時は「小原宿」と言う名前だった。
いつ頃から「大原宿」になったのかは定かではないが、名の由来はここがかつて「大原村」だったからであろう。
なお、大原村は大正11(1922)年に大原町となり、2005年、平成の大合併によって美作市になった。
小原宿の中心だった古町には本陣や脇本陣が置かれ、参勤交代として整備された因幡街道における主要な宿駅として賑わいを見せた。
本陣、脇本陣を始め、江戸~明治期以降の建物が多く、百聞は一見だがとにかくすごい町並みが今なお濃密に残されている。
また、過去にたびたびその名を出して紹介してきた岡山県の町並み保存地区に、昭和61年に指定されている。
無電柱化されたすっきり整然とした町並みは、このためである。
古町では江戸時代のうちに四度もの大火に見舞われており、それゆえ防火を意識したまちづくりが行われてきた。
袖壁をここでは「火返し」と言い、このような水をイメージしたと思われる意匠にその意図が見て取れる。
しかし持ち送りみたいだな・・こんなグラマラスな袖壁初めて見たよ。
袖壁の他には、定番のなまこ壁や虫籠窓、そして出桁なんかを目にすることができる。
とにかく気持ちの良いぐらいにキレイに整備された古町の町並み。
一番すごいのは建物や町並みではなく、観光客がほぼ皆無なことであろう。
コロナ禍のせいかと思いきや、別にそんなことはないらしい。
普段からこんなものだと。
長屋門が残る脇本陣。
防火への強い意思を感じます。
大原宿は両脇に水路が設けられており、このおかげで風情も三割増しぐらいになっている感がある。
嗚呼…花に癒やされる。
(2ページ目へ続く)
コメント