徳島で出会ったレトロ界のダークホース。「鴨島」には最強の隠しダンジョンがあった!

徳島県
この記事は約4分で読めます。

銀座商店街の元「funky time」の前から伸びる路地が「文楽通り」。
鴨島を代表する飲み屋街、すなわち“盛り場”を形成する通りだ。

閉店したネカフェがあった場所はかつて「文化座」という映画館だった。
そして、この路地をまっすぐ行った先に「有楽座」という別の映画館があった。

もうお分かりだろう。

それぞれから一文字ずつ取って命名されたのがこの文楽通りなのだ。

文楽通りの白眉が、窓のアールが美しいこの建物。

ここの向かいにある食堂のおばちゃんに教えてもらったのだが、何の建物だったかすっかり忘れてしまった。
旅館だったかな?大正時代って言ってたのはうっすら憶えてるんだけど。

ちなみに、通りの名の由来を教えてくれたのもこのおばちゃんである。

写真撮ってたら話しかけられ、成り行きで店の中に招かれ、さらに暑いからとお茶まで振る舞ってもらうという温かいおもてなしを受けた。
この一件で、この日から鴨島のイメージは“人情味溢れるいい町”になった。

この通りの最盛期は昭和30~40年代で、60軒以上もの店があったそうだ。
時代の流れとは言え、そこにはずいぶんと寂しい現実があった。

今に残る飲み屋は、地元の常連さんに支えながらほそぼそと続いている店がほとんどのようだ。

筆者自身もあまり外で飲む習慣がないので人のことをとやかく言える立場ではないが、昔に比べて若い人は酒を飲まなくなった。

そもそも若者が減ってる地方で飲み屋が厳しい状況に置かれるのも無理からぬ話だろうと思う。

最盛期より減ったとは言え、それでも尋常じゃない数の飲み屋やスナックが通りを埋め尽くしていた。

「有楽座」がどこにあったのかはわからなかったが、適当に路地を彷徨った。
何も期待せずにやってきた町。鴨島は古い建物の宝庫だった。

古い町並みにも色々あるが、この破天荒で奇抜で下品で浮世離れした世界観はやはり“昭和”にしか出せない。

もちろんすべて褒め言葉である。

稀有な背景を持つ文化財でもなければ、建築的な価値があるわけでもない。

すべては鑑賞者の感性に委ねられる世界。

属性や肩書きを排除したほうがフラットな関係性を築けるのは人間だって同じである。

さらに、ラフな出で立ちで訪ねて行っても余裕で歓迎してくれそうな懐の広さがある。
“昭和”に惹かれる人の心理ってたぶんそういうところなんじゃないかと思う。

知らんけど。

スポンサーリンク

本当にあった隠しダンジョン

ここまでですでに大満足だった鴨島散策だが、師匠は最後にとんでもない隠し玉を残していた。

駅前通りの、さくら旅館の斜向いに花屋がある。
隣の店との間に、よく見るとこんな路地が伸びていることに気づく。

一人だったら、覗いたところであえてここに入って行くことはしなかったかもしれない。
いや、確率的には五分と五分と言ったところか。

 

そんな微妙な路地に分け入り、どん突きを曲がった瞬間、息を呑んだ。

 

そこには信じられないような異空間が広がっていた。

馬鹿な・・

漫画みたいなセリフを吐きながら、目の前の光景にただ呆然とするしかなかった。

誰がこんなところにこんなアーケードがあると予想できる?

“隠れ家感”とかじゃなくて、意図的に隠してあるとしか思えないようなあり得ない場所。

それはもう隠しダンジョン以外の何物でもなかった。

 

しかも驚きはこれだけで終わらなかった。

レアポケモンならぬ、カフェー鑑札。

(しかももうひとつあった・・)

商店街と言うより飲み屋街だったのだろう。
完全に終わってはいたが、それほど荒れ果ててるわけでもない。

ゴクリ。

(ここまで強烈なヤツは久しぶりだ・・)

この町には、これほどまでに飲み屋が必要とされた時代があったのだ。
鴨島という町の凄さを無修正で突きつけられ、畏敬と狂熱が入り混じった混沌とした気持ちで夢中でシャッターを切った。

はた、と赤鳥居の前で足を止めた。
なぜこんなところに稲荷神社が・・?

その答えはすぐに解った。
この通りは「稲荷通り」と言うのだ。

商売繁盛の為に祀られた稲荷神社にあやかって名付けられたのだろう。

なお、この稲荷神社は正確には正一位稲荷大明神と言うそうだ。

現実感は一瞬で消し飛び、リアルに昭和30年代に来てしまったのかと錯覚するかのようだった。

(´-`).。oO(大体このパッケージいつのだよ…)

長屋の裏側を眺める。
ズタボロ具合が堪らない。

鴨島。

まったく期待していなかったどころか、名前すら知らなかった町で見たのは幻のような昭和の残影だった。

 

今、言いたいことはただひとつ。

この町は絶対に行くべきだ。

これだけである。

[訪問日:2021年9月23日]


コメント

  1. 同行二人 より:

    旅館のおばちゃんが教えてくれたアールの建物は元は八百屋さんとのことでした。後に某SNSで当該の物件の一角でスナックを営むママにもコメントで昔のことを教えていただきました。

    • machii.narufumi より:

      コメント待ってました!w
      八百屋でしたか~。完全に忘却の彼方でした。
      やはりメモっとかないとダメっすね。

タイトルとURLをコピーしました