2015年、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録された長崎の軍艦島(端島)。
端島は明治期に採掘が始まり、1974年(昭和49年)に閉山し無人島になったことは以前書いたとおりである。
この島と入れ替わるように戦後、1952(昭和27)年に開発が始まり、平成の世まで稼働を続けた海底炭鉱の島が長崎にあることをご存知だろうか?
“九州最後の炭鉱の島”と言われた「池島」。
昨年10月、筆者はこの島をひっそりと訪問した。
10月13日。
長崎市内のホテルを発ち、海岸線に沿って北へ車を走らせた。
潜伏キリシタンで有名になった外海地区、8年ほど前に車中泊した道の駅を横目に懐かしい気分に浸っていたら、池島のシルエットが視界に入ってきた。
午前10時。神浦港に到着した。
池島へは二通りのアクセス方法がある。神浦港と、北へ10km離れた瀬戸港である。
神浦は高速船中心、瀬戸はフェリー中心なのでマイカーの方は後者のほうがやや利便性が高い。
※1日2便だが、佐世保からの高速船もある
10時半発のフェリーに乗船した。
池島は周囲4kmの小さな島だ。はなから歩いて回るつもりだったので車は港に置いて行った。
※後にこの選択が悲劇を生むことになる
フェリーの場合、約30分の船旅となる。
池島炭鉱坑内体験ツアーへ
午前11時、池島港に到着。
事前に長崎さるくの「池島炭鉱坑内体験ツアー」に申し込んでいたので、ガイドさんの案内で池島開発総合センターへ。
このツアーは元炭鉱マンが坑道内を案内してくれるというもので、石炭炭鉱の坑道が常時見学できるのは国内ではここ池島のみ。
池島に行ったら是非とも抑えておきたいツアーだ。
午前コース、午後コースがあり、午前のみ昼食を挟むのと、坑道見学後に「島内観光」のオプションを選択することができる。
筆者は午前コース、弁当あり、オプションなしで予約をした。
港にほど近い元お食事処「みなと亭」が手作りで提供している炭鉱弁当は、かつて鉱員たちが仕事には必ず弁当を持参したことを、昔懐かしのアルミ製弁当箱で再現したという池島ならではのもの。
午前コースを選択される際は迷わず弁当付きにしよう。
弁当食べてたら・・なんか変な奴おったw
坑内へ
昼食を挟み、池島の歴史をまとめたVTRの視聴、注意事項の説明などを経てトロッコで坑道内へと移動した。
ヘルメットやヘッドライトは貸与してくれるので持参する必要はない。
元炭鉱マンのガイド、尾崎さん。
池島の簡単な歴史や炭鉱開発にまつわるお話をしてくださった。
坑道内は徒歩で移動。
昼間はまだ半袖で過ごせるぐらいの時期だったが、さすがに地下はひんやりして少し肌寒いぐらいだった。
なおも奥へ進むと、石炭採掘に使用されたドラムカッターの現物が生々しく展示されていた。
これでザクザクと石炭を掘っていたわけですな~。
■「オーガー」と呼ばれる、ダイナマイト専用の穴を開ける削孔機も体験できる
このように、炭鉱機器の模擬操作体験ができるのがここのツアーの売り。
基本的に鉱山跡って坑道の見学しかできないとこが多いのでこれはなかなか貴重だと思う。
坑内でメタンなどの有毒ガスが発生した際に、清浄な空気を吸うために被るエアマント。
最奥部まで行くと、坑道の先に外の光が見える。
池島で一番最初に掘削されたのがここで、言わば池島炭鉱のスタート地点とも呼べる場所。
実際何に使われたのかよくわからないものも多かったけど、リアルに当時使われていた道具や錆びて朽ちかけた器具を目の当たりにするとさすがに説得力が違う。
坑道見学が終わり、再びトロッコに乗ってスタート地点へ。
約1時間の坑内探検ツアーはこれにて終了。
気になる料金のほうは、記事を書いてる2020年12月現在、大人2,720円。午前+オプションコースで3,170円。(小中学生は半額)
炭鉱弁当を注文すると別途900円。
一旦解散となり、オプションを申し込んでいた人たちはこの後、ガイドさんの付き添いで島内の案内へ。
さて、じゃあ島内散策へとくり出しますか。
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コメント
そうですよね。長崎は夏場になれば夜8時くらいまで明るくて、子どもは遊びほうけて、親から「はよ、帰らんね!」って呼ばれるんです。その分、朝の夜明けは遅いですが。書かれているように、島に残った人はそれぞれ、事情があるのでしょうね。
そうなんです。私は本州しか住んだことないので、九州に行ったときの日没の遅さには驚きました。
100人いれば100通りの生き方があります。人間模様は色々ですもんね。