以前、永井荷風の『濹東綺譚』の舞台になった玉の井のことを書いた。
そして、戦後焼け出された玉の井の業者の一部が新興の赤線、鳩の街を興したという話も書いた。
鳩の街から遅れること3ヶ月、新天地を求めた玉の井の一部業者が葛飾区の亀有でも営業を始めている。これがのちの「亀有楽天地」の誕生である。
昭和20年8月、終戦直後のことであった。
今、亀有と言えばすっかり両さんでおなじみのこち亀のイメージとなっている。駅前には両さん像。
地元民以外でこの地を訪ねる人ってたぶんほとんどがそれ目当てなんじゃなかろうか。
両さんはそこそこに、早速目的地ヘと向かう。かつての特飲街は、駅南口一帯、現在の亀有三丁目の一部に広がっていた。
当時の亀有は日立製作所をはじめ大規模工場が多く、亀有楽天地は工員の慰安所として設置されたという背景を持つ。
南口から放射状に伸びる道の一本が「ゆうろーど」の愛称で呼ばれる、亀有銀座商店街。遊里の残照を求め、まずはこの道から歩いてみることにする。
亀有食品市場
程なくして『亀有食品市場』という看板が取り付けられた、昭和のバラック然とした激渋物件が視界に飛び込んでくる。
二階にはトマソン。
当時はトマソンとか知らなかったので思わず目が点になった。
これ、勢い良くドアから飛び出したらもれなく転げ落ちるという、それこそこち亀さながらの展開になるんじゃないの?とか思ってた。
中に入ると、昭和30年代にタイムスリップしたかのようなアーケード市場が目の前に広がる。まさに昭和レトロを絵に描いたような光景。心地よいっすね。
中央付近まで歩を進めると、何やら水色の物体が立っている。
なんだあれ。とりあえず斥候のごとく接近を試みる。
そこに鎮座していたのは謎の水飲み場。
なんだこりゃ・・。もはや通行の邪魔にしかなっていないけど。
よほど思い出がつまった大事なものとかで、何か撤去できない事情でもあるんかなぁ。
駅前だし、傍目にも闇市が発祥だったのでは?と訝ってみるも、そういう情報は出てこなかったので真偽はよくわからず。
銀座商店街が昭和23年らしいので、まぁほぼ同時期じゃないかな、とは思いますが。
包装は粗雑だったとしても、戦後の闇市もこんな雰囲気だったのかな、と70年前に思いを馳せる。
と言うかこれ映画のセットです、なんて言われても素直に納得できるレベルだ。
市場の横にも、今にも死にそうなオンボロアパートが建っているのが見える。
横の空き地は、今ストリートビューで確認したら3月にビルの絶賛建設中だったのでさすがにもう完成してるかな。
そしたら市場はビルとビルに挟まれる構図になるわけで、完全に再開発の包囲網じゃん。
さて、先へ進みましょうか。
すぐそばには不思議な意匠の果物屋さん。全然違うんだけど、ちょっとでも風変わりな建物が目についたらすぐ「カフェー建築かな?」と思ってしまうあたりがいい加減末期だなと自分でも思う。
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