あくまで私的な見解ではあるが、都内の消えた赤線跡、そのベスト3を挙げるとすればおそらく洲崎、玉の井、そして今回綴る『鳩の街』になるだろうと思う。(現役の吉原は「跡」ではないので除外)
玉の井が戦災で焼けたことは以前書いた通りだが、新天地を求めた業者の一部が昭和20年、すなわち終戦の年の5月に焼け残った土地を買収して営業を始めたのがこの鳩の街であった。
そんな経緯があり、玉の井と鳩の街は地理的に近い。同じ墨田区内で、歩いても30分はかからないだろう、という距離にある鳩の街は、東武曳舟駅が最寄り。
鳩の街商店街
駅から5分も歩けば鳩の街商店街の入口に到着する。目の前には国道6号線(水戸街道)。
鳩の街は、どちらかと言うと谷中銀座やキラキラ橘のようなレトロ商店街散策が好きな方のほうが詳しいと思う。
昭和3年(1928年)に開業した「寺島商栄会」が前身で、戦後鳩の街に名前を変えた商店街は実に90年近い歴史を有しているから驚かされる。
そんなわけで、当サイトの守備範囲でもあるしまずは商店街のほうを見て行きたい。
商店街が鳩の街にその名を変えたのは、赤線地帯の呼び方をパクったという至極シンプルな理由。
その元ネタのほうは、“上客”でもあった進駐軍に対して「ここに来ると幸せになれますよ」という意味で幸せの象徴である鳩が使われたんだとか。
英語ではまんま「pigeon street」と呼ばれ、それが直訳されて「鳩の街」になった。
戦災を免れただけあって、交差する路地は極端に細く商店街も一方通行となっている。
そんな鳩の街商店街は、水戸街道から墨堤通りまで真っ直ぐ400mほど続いている。
すぐそばに赤線があったことで商店街はとても潤い、昭和30年代の全盛期にはすべて商店で埋め尽くされるぐらいの勢いがあったが、50年代頃から徐々に衰退して宅地化されていったらしい。
やはり時代の波には抗えない。
いかにも「昭和初期に建てられました」風な銅板の看板建築まで健在。
もう最近じゃ都内でもあまり見かけることがなくなってしまった貴重な風景である。
古民家を改装したカフェ「こぐま」。昭和2年築の激渋物件で、飲み物のみならず食事もできる模様。
アイスコーヒーの一杯でもすすってくればよかったと帰ってからちょっと後悔した。
ちなみに食べログにも載ってるので興味のある方はチェックしてみてください。
やっと元赤線地帯らしい建物が出てきた。と最初思った、タイルが設えられたひらの寿司さん。
けど、娼家の立地は商店街の裏通りになるのでたぶんその見方は誤っていると思う。
ちなみに現在の鳩の街商店街は、昔からの商店と先に紹介したリノベーション系のショップが混在し、計40店舗ほどが軒を連ねている。
まさに「ザ・昭和のたばこ屋」テイスト。
レトロ商店街好きにはたまらない逸品。
こちらの「松の湯」さん。
筆者が訪れたのは7月末のことになるが、その後廃業し、10月末頃には解体されてしまったと聞いた。
悲しいかな、また都内の古い銭湯がひとつ姿を消してしまった。
商店街が終わるあたり。
見ての通り完全な一方通行。この幅じゃ軽自動車でもすれ違い不可能かと。
いかにも墨田区って感じの光景。
墨堤通りに出た先は、首都高速6号線の向島IC。
さて、ではそろそろ戻って赤線跡へ向かいましょうか。
(2ページ目へ続く)
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