徳島県西部の三好市。
香川、愛媛と接し、四国四県の中で最も面積の大きい同市の中心が阿波池田である。
道路、鉄道ともに今も昔も交通の要衝となっている池田は、この地方の経済や産業の中心として古くから栄えてきた。
特に、幕末から明治にかけて「阿波刻みたばこ」と呼ばれる葉たばこの生産で栄え、財を成した商人が建てた商家が今も良好に残っている。
この日はそれを見に来た。
なるほど。どうやら目的の「本町通り」は駅前からアーケードを抜けた先にあるらしい。
そう言えば、昔青春18きっぷで四国を一周したとき、土讃線から徳島方面への乗り継ぎで降りたことあったなぁ、と懐かしみながら立派なアーケードを眺めていた。
特に名前が付いてるでもなく、阿波池田駅前通り商店街というのがここの名称のようだ。
普通に駅に向かう大通りと言った趣きで、どう見ても歩行者より車のほうが通行量が多そう。
面白いことに、このあたりの住所はカタカナ表記で三好市池田町サラダと言う。
これは、コース料理が前菜から始まることになぞらえて、サラダ、スープ、メイン…と覚えやすく親しみやすい名がつけられたからである。
わけがない。
このあたりの地形が皿のようになっていることから「皿田」と呼ばれていたのが由来なんだとか。
日本語って面白いね。
洋品店と文具店。
どっちも渋い。
アーケードの先が何とも複雑な六叉路になっていて、正面右手に進むと本町通りへ入る。
そこの住所は池田町マチと言うが、これはおそらく賑わいの中心だったことから来ているのであろう…気がする。
うだつ通り
徳島と言えば脇町、貞光といういわゆるうだつツートップが有名である。
前者は阿波藍、後者は葉タバコで栄えたまちだ。
そして、同じく吉野川流域にあるここ池田も巷では「うだつの町並み」として名を馳せている。
これを徳島では昭和のアイドルよろしく、うだつの町並み御三家と呼ぶそうだ。
今歩いている本町通りがすなわち「うだつ通り」で、うだつを設えた商家が結構な数残っている。
ちなみにこちらは4S STAYと言うリノベ系古民家宿。
ひっそりと佇む庚申塚。
阿波池田うだつの家・たばこ資料館こと真鍋家住宅。
幕末の1860年からたばこ製造をしていた商家で、建物はその前からあるだろうから200年近くが経過していそう。
行程の都合で残念ながら中は見れなかった。
昭和50年代に甲子園の強豪校として一時代を築いた県立池田高校。
こちらは当時の野球部を率いていた故・蔦文也監督のお宅。
教え子で最も有名なのは、投手コーチとしても活躍した元巨人の水野雄仁氏になるだろうか。
2018年にオープンした三好市地域交流拠点施設「真鍋屋」(愛称MINDE)。
レストランやシェアオフィス、お試し住宅まで詰め込んだ地域交流拠点となっているそう。
細い路地を見つけるととりあえず入って行く奴w
泊まりだったら絶対入っただろうな、って思えるいい感じの飲み屋があった。
産地だけにやはりたばこ屋は欠かせない。
しかしこれ、高さが違う屋根が繋がってるけどどういう構造なんだろう。
増築して長くなったのかな?。
「えびす通り」と交差する角地にある、その名もえびす神社。
まぁ、商人のまちだからそりゃえべっさんですよね、って言う話で。
玉垣には葉たばこで財を成した商家の名が書かれていた。
えびす通りには「郷土料理 うだつ」と書かれた廃業した料亭が残っていた。
えびす通りと本町通りが交わるところがことのほかフォトジェニックだった。
いよいよ本町通り最後のブロックに差し掛かる。
結果的にはここが最も見どころのあるエリアだった。
元酒屋の入江酒店。
阿波池田は高台に築かれたまちで、この先で地形が急な落ち込み方をしていてそれがよくわかるようないい眺めだった。
ひとつ車庫風の建物を挟んで、うだつ商家が三軒並んでいた。
いや~これはすごいな。
なお、手前が佐藤家住宅、奥が宮本家住宅でいずれも2016年に登録有形文化財に登録されている。
三軒のうち最も左のうだつには「宝住宅」の文字が。
どういう意味なんだろう🤔
最後のうだつハウス。
建物の数では及ばないけど、うだつの豪華さで言えば脇町と遜色ないぐらい立派な物が多かった。
あと、歩き損ねたけど一本南の通りと付近にもうだつの商家があったようだ。
まぁでも、本町通りだけで十分満足した。
かつて池田には約100軒の民営たばこ工場があったそうだ。
どれほどマチが潤ったか、そしてどれほど商人が裕福だったか。
どっしりとしたうだつは、まるでそんなメッセージを発しているかのようだった。
[訪問日:2021年9月24日]
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