蔵王連峰の麓に位置する宮城県最南端の白石市。
有名なのは「宮城蔵王キツネ村」「白石温麺」「こけし」あたりだろうか。
かつての白石城の城下町であり、武家屋敷をはじめ城下町の面影が残る同市をぶらぶらと歩いてみた。
武家屋敷「旧小関家」
白石城は仙台藩最南端の防衛拠点とされていた城。
金ケ崎の話で触れたように、江戸時代の一国一城令によって伊達氏は21の要害を築いた。
そんな中、幕府から例外的に存続を認められたのが白石城で、関ヶ原の戦い以後、明治維新までの約260年の間伊達家の重臣・片倉氏の居城であり続けた。
手始めに、白石城の北側に残る武家屋敷「旧小関家」を訪れた。
白石城の三の丸外堀にあたる沢端川に面した風情ある通りで、かつては中級武士の屋敷が数多く建っていたと言う。
享保15(1730)年に建てられた旧小関家。
入ってすぐが土間の台所で、その横が「ちゃのま」。奥は「なかま」「なんど」の二間が並んだ合計三間の非常に簡素な造りをしている。
玄関は土塀を屈折させてL字型にしている。
屋根は寄棟造の茅葺きで、裏手には煙出しが付属している。
こっちが正面で、右側の部屋が「なかま」で左側が「ちゃのま」。
なお、これは駐車場のおっちゃんに教えてもらった小ネタだが、沢端川には梅花藻が群生しているので夏に来るのがいいとのこと。
壽丸屋敷
続いて向かったのが白石城の東側、白石駅前通りに位置する「壽丸屋敷(すまるやしき)」。
白石一と言われた豪商、渡辺家が明治中期に建てた町家建築で、日本庭園と母屋、店蔵で構成されている。
年間通して様々なイベントが催されており、観光拠点としての役割も担っている模様。
この日は「白石和紙展」なるイベントが行われていた。
なお、令和元年には登録有形文化財に指定されている。
母屋の右横には洋館が設えられている。
当時、豪商の間では洋風の要素を取り入れるのが流行していたそうで。
そう言われてみれば・・、伊勢河崎商人館などいくつか思い当たるのがある。
洋館の応接室。
母屋は大正12年の建築。
天井が高くなかなか見ごたえがある。
イベントで地元の方が大勢来ていてちょっと入りづらかったけど、入ってみたらウェルカムな感じだった。
「どちらから?」と訊かれて関西と言ったらさすがに驚かれた。
縁側を通って奥へと進む。
母屋の西側で、外から見るとアーケードに面した店蔵と直接繋がっている。(この店蔵が明治中期の建築)
店蔵では白石和紙の常設展示が行われていた。
行くまではよく知らなかったが、白石は和紙が有名らしい。
伊達政宗が紙の生産を奨励したことで、江戸時代から和紙が特産品だったようだ。
む?まさかあの箱階段は上れるのか・・?
二階へ上がってみた。
展示室と言うかは物置?のような空間だった。
TVや冷蔵庫など、昭和初期頃と見られるアイテムがいくつか展示してあって楽しめた。
ここらで一旦区切ります。
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