福島県の南西部、南会津町の中心部にあたる「会津田島」。
東武鉄道と会津鉄道が相互乗り入れしている関係で、浅草から一本で行けるある意味関東の人には名が知れたまちだろうと思う。
筆者も関東の民だった最晩年、湯西川温泉に行ったときにこの会津田島行きの特急に乗った。
湯西川はさすがに遠かったが、そこから会津田島までは30分ちょっとで行けたりするのでほぼ栃木寄りのまちであることを実感できる。
田島のまちは古くは会津西街道の宿場であったことや、幕府が陣屋を置いたり明治時代には郡役所が置かれたりと割とこの地方の中心として栄えたきたまちだったりする。
そんな田島をぶらぶら歩いたのが今日の話。
会津田島駅。さすがは南会津の中心とも言うべき立派な駅舎。
駅前通りをまっすぐ進むと元旅館のような豪奢な建物がお目見えした。
国道を渡った先に南会津町の役場があるが、そこがかつて陣屋が置かれていた場所。
旧南会津郡役所
陣屋跡から西へ5分ほどのところにある旧南会津郡役所。
1885(明治18)年に建てられた木造2階建ての擬洋風建築で、付近では類を見ない異色な建築物である。
元々はここのすぐそばにある南会津合同庁舎のところに建っていたが、合同庁舎が新築されることに伴い現在の場所に曳家で移築された。
解体されていないので、完全に新築当時の姿をとどめている。
中は有料で見学できるんだけど、開館前だったので外観だけ。。
もう少しまちをぶらぶらしよう。
郡役所周辺には花街があったそうで、あるいはこのスナックもその名残だったのかも?と想像してみる。
続いて国道121号沿いを歩く。
これが昔の会津西街道で、江戸時代に会津若松と日光(今市)を繋ぐべく整備された道。
概ね現在の121号と会津鉄道がその役割を継承していると言えるだろう。
国道沿いはそこまで古そうな建物はあまりないものの、こんな風に時折目を引く商店が点在していた。
THE・昭和って感じでよき。
こちらの重厚な石造りは元病院だったという建物。
ただ、小耳に挟んだ話によると、壊すに壊せず、活用法を見出だせないまま維持費だけがかかるという、あまり良い残り方ではないということだった。
割と地方でよく聞く話だよね。。
こうして見ると閑散としたまちだけど、7月には日本三大祇園祭と言われている「会津田島祇園祭」が開催され、それはもう大勢の観光客がやってくるんだとか。
外観だけ見て呉服屋か何かだと思ったらカフェだったw
どう見ても人の顔にしか見えん。。
と思ったこちらは、南会津を代表する造り酒屋の
国権酒造さん。
会津地方は全国有数の日本酒の産地でそのレベルの高さは折り紙付きだったりするわけなんだけど、南会津にはここの他に「会津酒造」「花泉酒造」「開当男山酒造」と全部で4つの酒蔵がある。
以前、開当男山酒造さんが阪神梅田に出張販売に来てたときに買ったひやおろしがめちゃめちゃ美味しくて。
思えば、南会津の酒を飲んだのはあのときが初めてだったっけな。
そう言えば田島には石蔵が多かったけど、街道で栃木と繋がってる立地が影響してそうな気がするな。
栃木と言えば、お膝元の宇都宮を筆頭に大谷石の石蔵が非常に多い土地柄。
和泉屋旅館
最後になりましたが、、
古い建物や町並みが好きな人にとって、会津田島の名をものすごく有名にした当事者がこちらの和泉屋旅館さん。
本で言えば『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』で紹介されてるし、最近じゃ各種SNSで異様なほど泊まった人の書き込みを目にする。
もちろん筆者もこのときお世話になったわけではあるものの、ちょっとしたアクシデントに見舞われてここで紹介することができなくなってしまった。
という訳ですでに再訪は確定してるんだけど、遠いからなぁ・・一体いつになることやら。
[訪問日:2021年10月31日]
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