2015年。新しい年の幕開け。
日本広しと言えども、元旦の朝9時過ぎから赤線跡を歩いていたのはさすがに筆者だけであろう。
しかも、こんな愛媛くんだりまで来て、である。
これは・・誇っていいのだろうか?
さて、というわけで後半も引き続き今治駅前の赤線跡を眺めてみたい。
前頁、先ほどの祠を包囲するようにかつてはバラック群が立ち並んでいたようであるが今ではご覧のとおり。空き地になってしまっている。
丸亀もそうだったけど、駅前のこのうらぶれ具合はいかがなもんか。中核を成す都市がこの有様。これが四国の現実だとしたら何とも寂しいものである。
碧空
今歩いてきた路地の南側に、もう一本並行する路地がある。Googleマップで見ても路地だと認識されていないがここにも味のある一角が現存する。
まず目に飛び込んでくるのがこちらの「純洋酒喫茶 碧空」。
水色と黄色という、補色を配したビコロールが美しい。
右側には、西欧の街並みにありそうなペールトーンのドア。くすんではいるものの、実に目に優しい。
ちょうどここから見ると背の位置、碧空を正視して右側にあった『紫園』という古めかしい飲食店は解体されてしまっていた。
『消えた赤線放浪記』に掲載されている物件である。
こちらの碧空さんはまだまだ元気に営業されているようで嬉しい限りである。
戦後、赤線時代からずっとこの地で商いを続けているらしい。往時はさぞかし嫖客で賑わったことであろう。
結局この二本の路地だけ見て今治を後にしたものの、どうも少し南に行った路地にも赤線の名残があったらしく・・まぁこの業界によくあるリサーチ不足ってヤツです。
しかも「カフェー」の鑑札が残っていたと知れば・・あーあやっちゃったわ。
どうでもいいけどやっぱりこのデザイン秀逸だ。
すぐそばにはこんなバラック家屋が。数年前まではこのあたり、今にも崩落しそうな廃墟がひしめいていたようであるが危険だからかすべてなくなっていた。今ではこのバラックだけが当時の生き証人と言えようか。
以上、特飲店の新春大売り出しセール in 今治でした。
さて、いよいよ舞台は名作「坊っちゃん」を生んだ松山へ・・
※2018年10月に今治の赤線を再訪しました
[訪問日:2015年1月1日]
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