名づけて城東温泉郷 高松・八重垣新地を歩く

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香川からスタートし、愛媛⇒高知⇒徳島をぐるっと回って再び高松に戻ってきたのは、旅の終わりも間近の最終日前夜のこと。(時系列で書いてきたので間の出来事は過去記事を参照してください)

屋島の健康ランドで朝を迎え、朝風呂ですっきりしてから向かったのが特殊浴場ひしめく男の半島、城東町である。
そこでもう一回すっきりしようと・・いうわけではない。

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最終日も朝から素晴らしい晴天。結局今治で雨降られた以外はほとんど晴れたんじゃないっけかな。

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八重垣遊郭跡

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「城東町」とは、高松駅から東へ1kmちょっと行った先にある、瀬戸内海に突き出した半島である。
ここは、明治初年に「八重垣遊郭」が置かれた場所で、交通の要衝だった高松だけに航路、陸路の旅客で大いに賑わい、最盛期の昭和初期には不夜城の様相を呈していたらしい。

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半島の突端、北側の道路。
八重垣遊郭は戦時中に空襲で焼けてしまったが、戦後は赤線地帯となって昭和33年(1958年)の売防法まで存続。
その後はトルコ風呂となり、その名が変わった現在でも業態は変わらず、色街としての歴史は途切れることなく約150年続いている。

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半島のすぐ東には造船所のドックがあり、港湾都市らしい風情も垣間見える。
温暖な四国では、冬の朝とて凍てつくような寒さはない。うららかな陽光を浴びれば旅の疲れなどどこ吹く風。

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西側には、サンポート高松が遠目に見える。思えば、この旅はちょうど6日前にあの場所から始まったのだ。もうずいぶん遠いことのように思える。

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外周だけ歩いてもしょうがないので、そろそろ内陸へと足を向ける。
いきなり正面に品のない巨大な看板が見える。
いや待て。その手前に何かある。

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早速赤線時代の遺構が登場。
カフェー調には違いないが、あまり見ないタイプである。なかなか面白い意匠をしている。

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何ですかね、これ。家紋?
遠目でドクロマークに見えたんですが、よくよく見たらタコっぽいですね。いや、うん。ロケーションからしてきっとタコですよね。

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毎度のことながら、今回もいつもお世話になってるふたつの資料から引用。

『全国遊廓案内(昭和5年)』

この遊廓は明治元年頃に創立されたもので貸座敷は目下34軒あって、娼妓は180人居るが、大阪府及び中国地方の女が多い。

『全国・女性街ガイド(昭和30年)』

赤線は北の新地といって東浜一帯。54軒に170名ほど。きぬぎぬの別れに情緒があり、渡船場まで送ってきてくれ、渡しを渡ればすぐに桟橋。

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戦前、戦後それぞれを見てもかなり繁栄したことが窺える。
その勢いそのままに、現在では特殊なお風呂屋さんが約15軒ほど集中するまさに温泉郷とも呼べる風光明媚な景観を形成している。
ただし、日帰り入浴はあまり安くないのでご注意を(笑)

(2ページ目へ続く)

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コメント

  1. 匿名 より:

    数年前までこの近辺の会計事務所でアルバイトしておりました。水道代ガス代がエラい高かったり給与計算が理解できん事業所があったのを懐かしく思い出しました。

    近くの古老は、昔は水揚げ人夫に大人気のエリアだったとか、更に古くは海上に停泊した船まで小舟が行き来していたとか話していました。

    • mast-mo より:

      コメントありがとうございます。
      どれも城東ならではの興味深いお話ですね。
      しかし、高松におちょろ舟の文化があったのは初耳です。古老の話であれば間違いないでしょうから、ちょっと驚きました。