信達宿を歩いたあと、北上して岸和田へ立ち寄った。
岸和田と言えば最近立て続けに痛ましい事故が起きた「だんじり祭」で有名な土地柄。
そこには岸和田城の城下町として栄えた歴史があり、当時の風情を残す町並みが旧街道沿いに残っている。
岸和田城そばの市営駐車場にクルマを停めた。
お掘に面した道路が府道で、その奥に旧紀州街道が並行している。
目当ての町並みはそのあたりにある。
岸和田城の復興天守。
夜にはライトアップされてなかなかキレイなので控えめに推しておきたい。
堀の横に何かあるなぁと見に行ってみたら、そこには「五風荘」なる昭和初期に建てられた和風建築と日本庭園が美しい料亭。
元々は旧寺田財閥の別荘として建てられたそうだ。
なお、食事せずとも庭園は自由に散策できた模様。入っときゃよかった…。
さて、じゃあそろそろ目的地へ向かいましょうか。
本町のまちなみ
交通量の多い府道204号を渡って旧紀州街道に入るとあたりの様子は一変する。
旧街道らしい細い道幅の通りに、伝統的スタイルの町家が連続で立ち並んでいた。
すごい…。
この本町地区、実は市の「歴史的まちなみ保全地区」に指定されていて、35軒の建物が「歴史的景観建築物」に指定されている。
修理や増改築に一定の基準を設け、条件を満たせば補助金も出るそうで、独自の伝建制度みたいなことをやっているというわけ。
見た目がキレイなのはそういう理由にしても、この界隈で35軒も歴史的建造物が残ってるのはシンプルに驚きだった。
いやだってさ、岸和田ってそれなりに都会という認識だったから、古い町並みを期待して来るようなとこじゃないと思ってたのよ。
厨子二階部分が独特な町家。
一階と二階でサイズが違うってのは初めて見たな。
絶妙なゆるいカーブがいかにも旧街道って感じで良い。
一里塚跡(一里塚弁財天)。
紀州街道は起点である大坂の高麗橋から和歌山城下の間に一里塚が設けられていたそうだ。
この本町の町並みは、「大阪まちなみ百景」という大阪府内の優れた景観を選出した百選にもランクインしていて。
一覧を眺めてみると、千里中央や梅田スカイビル周辺も入ってるので新旧ごちゃ混ぜって感じではあるけど、古いほうで言うと富田林寺内町はもちろん、前回の信達宿、平野郷や鶴橋商店街なんかも入ってる。
興味ある方は是非検索してみてください。
これまた二階が不思議な造形をしている。
原付のおばちゃんが絵になる町並み。風情ありますなぁ。
この本町、一部の家の前に手作り看板が立てられてて、家の歴史や建物の特徴なんかが書かれていて非常に参考になる。
行政ではなく地域の方々が作られたそうで、なんかいいよねそういうの。
その看板によると、こちらは金納邸。
元魚問屋で、明治40年前後には既に建物があったそう。
うだつに鏝絵のある家屋。
波に見えるので火災除けの意味でしょうね。
松村邸。
明治初期頃の建築とされており、間口・奥行きともに五間半ある大型の町家とのこと。
休憩処の「まちづくりの館」。
よくある観光拠点的な施設ですね。
平成9年開館だそうだが、建物自体が古いのか古い“ふう”なのかはちょっと分からなかった。
それにしてもよい町並みだこと。
ここはもっと知られてもよいと思う。
岸和田藩御用の薬種商を営んでいた山内邸。
建築当時からほとんど外観に手が加えられていないそうで、本町における最重要遺構とのこと。
ちょうどいいタイミングでおっちゃんがチャリで疾走してきたので、ローアングルで一枚。
昭和にタイムスリップしたような感じが出せたと思ったけど、建物はたぶん明治とか大正なんだよな(笑)
久住邸。
明治30年代後半に当地に移住して建てられた町家。
内部は戦前、戦後にそれぞれ大幅に改造されて当初の形式は残されていないそうだ。
斜向かいのこちらも久住邸。
立て看板を撮り忘れたので不詳なものの、分家とか親戚の類ではないかと。
1536年に建立したとされる円成寺(えんじょうじ)。
現在の本堂は江戸初期の建築とのこと。
その先には道標。
妙にキレイなのと立ってる場所から復元っぽい。
いや、もしかして奥にある小さいのがオリジナル?
旧紀州街道はまだ続くけど、本町の中心はだいたい見れたと思われるので一本北側の路地から戻った。
こっちもこっちで古い建物がちらほら残っている。
うだつがすごい。
完全に本来の防火壁の役目を果たしてる。
あのまま進んでいたら近代建築がいくつか点在していたようで、さらに駅の近くには商店街が複数あったりと、時間かければ一日ぐらい歩けそうなほど岸和田は見どころの多い街だった。
このあと「だんじり会館」を見学して、合計2時間半ほどの滞在を終えることにした。
[訪問日:2022年5月28日]































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