今や全国においてその名を轟かせる、船橋市非公認のゆるキャラ「ふなっしー」。
そのまったく愛くるしくないビジュアルと意味不明な奇行で一躍お茶の間の人気者となったゆるキャラを輩出した船橋の地には、その昔遊郭が置かれ、近年までその名残が残っていた。
そんなわけで、近いせいでなかなか食指が動かなかった船橋散策に出かけることにした。
春を通り越して初夏の陽気となった5月末のことである。
海神新地
新地は、(京成)船橋駅から見て南西の方向、歩いても5~10分程度の近い場所にある。
歴史を紐解けば、船橋は成田街道(現千葉街道)の宿場町として江戸時代から飯盛旅籠が置かれていた。
これが昭和3年に1ヶ所にまとめられて船橋遊郭となった。「海神新地」とも呼ばれていたそうで、現在ではもっぱら後者のほうが通俗的となっている。
昭和5年の『全国遊廓案内』にも記述があるので以下に引用する。
此処は徳川時代からの宿場女郎として、最近まで国道に沿ふて散在して居たものであったが、昭和三年に現在の個処へ移転して遊廓となったものである。(中略)貸座敷は目下十九軒あって、娼妓は百二十人居るが山形県の女が最も多く、次は東京府の女である。
山形出身の娼妓が多かったというのは、東北が大凶作に見舞われた昭和初期と時期が符合する。やはり娘の身売りも多かったのだろうと思う。
海神新地の場所は、現在で言えば「本町二丁目」となる。
かつて指定地だった界隈は、駅近にも関わらず古い住宅街と言った趣きで高いビルやマンションなどが少ない。
戦後は赤線地帯となり変わらず活況を呈していたそうである。
一軒、その当時から建っていそうな家屋があった。この先に本日の目的地がある。
カフェー建築の面影をとどめる建物。
その先にスナックが二軒。小さな盛り場のような様相を呈している。
『赤線跡を歩く』によれば、周囲には青線的なカフェー街があったそうなのでその名残かもしれませんね。
細い路地を進んだ先にも酒場が一軒。
続いて一本西側の路地へ向かう。
そこにあるのは4階建ての低層マンション。何の変哲もない風景だが、この場所には2009年まで、海神新地では最後となる豪壮な妓楼が立っていたのである。
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コメント
そうか~!私も比較的に近いものだから
行かないでいました。
ストリップもなくなりましたか、、、以前はOSとか数件存在したいたのですがね。
いやぁ、見所は何もないってわかっていたのでずっと二の足を踏んでいたのですよ^^;
西船OS劇場、ですか。96年頃に閉鎖されたようですね。ストリップは・・やっぱり時代の流れですかね。