盛岡・八幡町 ~門前町の花柳街~

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東北遠征三日目。この日は秋田市内を発ち、一路盛岡へ。
道すがら、かねてから行きたかった乳頭温泉郷に立ち寄ってきた。

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ブナ林を眺め、春の涼風に吹かれながら白濁とした硫黄泉に浸かる悦び。これぞ旅の醍醐味。
道中、雪化粧の秋田駒ケ岳と桜のコラボに気分も最高潮に。この時期しか拝めない貴重な風景である。

そして・・盛岡に着いたのが16時過ぎ。まだ明るいとは言え、写真が撮りづらくなるので日が傾いてきてからのまち歩きはあまり好きではない。
急ごう。

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創建、実に鎌倉時代。盛岡の総鎮守とされる「盛岡八幡宮」。
この門前町である「八幡町」にかつて遊里があった。

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八幡町(幡街)

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ここに遊郭が置かれたのは明治時代。ただ、「花柳界」と書いてあるとおり娼妓一本のシマではなく、料亭(料理屋)も混在し、芸妓も相当数いたようである。
その辺りが関係しているからなのか、いつも参考にしている『全国遊廓案内』には八幡町の記載がまるっきりない。

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八幡町の南側、「松尾町」は今なお現役の花街となっているのでまずはこの松尾町から見て行きたい。

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元料亭っぽい建物。廃業しているも、こちらが最も往時の名残を感じさせてくれた。
場所は松尾町5番地あたり。

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側面から。かなりの大店だったようである。
地図を見ると確かに松尾町は区割りが整然としており、そこからも名残が見て取れる。

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正面から。月の形をした窓がすこぶる風雅。
この角度から見ると割に状態はよい。しかしかつて不夜城だった面影は界隈にはすっかりなくなっている。

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すぐそばにある「料亭喜の字」。こちらは現役。

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『赤線跡を歩く』に「異彩を放つモルタル造り」と紹介されている建物は、リノベーションされたのかずいぶんキレイになっていた。
住所的にはここから八幡町。左奥に進むと八幡宮の参道に出る。

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参道と並行する細い路地を八幡宮方面に歩いて行くと、蔵とカフェー調の家屋が合体した凄まじくスタイリッシュな建物があった。
な、なんだこれは・・

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参道に近づくにつれ、花街の風情は薄れ小料理屋が増えてくるような印象を受けた。
実際、松尾町が花街、八幡町が飲み屋街(盛り場)というくくりで概ね問題ないようである。

後編では、参道沿いとその北側を見て行きたい。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    この様に、日本国中に赤線跡といわれる場所がありますが
    一番最初に、本として発表した木村 聡さんは、偉大ですね。
    いろいろな人に影響をあたえとります。

    • machii.narufumi より:

      言われてみるとその通りです。僕なんかはかなり後発ですが、各地歩く際に色々調べてみると、色んな方がブログとかに書いてるんですよ。それこそ何年も前の記事もあったりで。当時はまだ媒体としてWebが弱かったというのもあるのかもしれませんが、結果として「バイブル」みたいになってるんだからやっぱり木村さんは偉大ですね。

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