東日本大震災で壊滅的な被害を出した宮城県石巻市。昨年夏に訪れる機会を得て、当時の街の様子を眺めてきた。
歩いたのはおもに「いしのまきマンガロード」の周辺。単にホテルから近かったというだけのこともあるが、見たかったレトロ建築があるという理由もあった。これについてはまたのちほど。
その後のことを書くと、石ノ森萬画館はどうにも食指が動かなかったのでスルーすることにし、午後は昨日時間の都合で乗れなかった松島の遊覧船に乗ったのだが・・
その前に・・あの「大川小学校」に立ち寄った。
保存派と解体派が真っ向から対立し、最近保存が決定したことは記憶に新しい。
そういうことを書くブログでもないし、筆者の稚拙な表現力ではあまりにも重い題材なので、写真の掲載すらここでは控えるが、ひとつだけはっきりと言えることがある。
それは、今までの人生の中でも最大級の衝撃だったことだ。校舎の前に呆然と佇みながら、哀しさでしばらく涙が止まらなかった。
話を戻しましょうか。石ノ森章太郎最大の代表作と言えばやっぱり仮面ライダー。
旧観慶丸商店
旧北上川の手前までやって来ると、そこには異彩を放ちまくる洋風建築が建つ。
1930年(昭和5年)建築の旧観慶丸商店である。
# 写真が少し斜めってますが気にしないでください
市内初の百貨店であり、戦後は陶器店となっていたこの重厚な建物も、先の大震災のときには津波で一階が浸水。
しかしそれ以上の被害はなく、昨年11月、市の有形文化財に指定されたというのは何とも嬉しいニュース。
ちなみに2013年にはここの所有者でもあった陶器店のかんけい丸が市に建物を寄付しており、市は文化財の展示施設にする方針だとか。
歴史に「たら」「れば」はないが、震災がなかったらこの話もおそらくなかったと思う。
この建物の最たる特徴は、外壁が全面タイル張りになっているということに他ならない。
これは当時としてもかなり珍しい工法だったとか。
この「観慶丸」と言う名。元々は江戸時代創業の廻船問屋だったのがその由来で、台風で船を失ってから陶器業に転業したらしい。
美しい正面とは対照的に、裏側に回ると見るも無残な様相を呈していた。
ガラスが割れ、コンクリートはひび割れ、屋根瓦にいたっては先日の熊本城よろしく剥がれ落ちている。
けど、あくまで去年の夏の状態なので、今頃はもうキレイに修復されているのではないかと思う。
第2SSビル
その旧観慶丸商店の前に、もう一軒レトロビルが建っている。
名は第2SSビル。建築は1925年(大正14年)というからこちらのほうが5年ほど先輩。
昔の銀行っぽい造りだなぁと思ったら、旧東北実業銀行石巻支店だそうで。一見して側面かと思うほうがファサードという、ちょっとおもしろい造りをしている。
以上、石巻の町並みでした、と言いたいところですが・・実はまだ続きがあります。
(3ページ目へ続く)
コメント
復興しつつある街というか
回復しつつある街。
なんというか、空気が伝わってきます。
すべてがもとに戻ることができないが
少しずつ、普段を取り戻している感じですね。
あの震災の一年後に仙台空港付近を尋ねました。
そうなんです。5年が経ちますが、復興がままならない場所だって実はまだあるんですよね。
現地を歩いているのでよくわかりますが、あの震災は大地にも人にも相当深い爪痕を残しました。