「いしのまきマンガロード」界隈を散策し、その足で向かったのは駅から見て北東にあたる「旭町」。
石巻旭町遊郭
目印はこの「石巻旭町郵便局」。
この旭町には昔遊郭があったというので、一応見ておくか、というノリでやって来たのである。
昭和5年の『全国遊廓案内』から石巻の記載を抜粋すると
石ノ巻遊廓は宮城県牡鹿郡石ノ巻字旭町に在つて、石ノ巻駅へ下車して東北へ約四丁の場所である。
(中略)
貸座敷は目下四軒あって娼妓は三十五人居るが何れも近県の女計りである。
妓楼は、千葉楼、朝日楼、好見楼、青山楼の四軒である。
まぁたったの4軒だし、何も残ってないのはちょっと調べたところですぐわかったのでね。
本当にただ来ただけ。
少し進むと石巻線の踏切を渡る。で、その先、右側に鳥屋神社がある。
そこに、かつてここに遊郭があったことを示す石碑が建っていた。
こんなのでも一応名残っちゃー名残。ちなみに昔は旭町ではなく「蛇田町」と言ったらしい。
長いのでかいつまんで要約すると、江戸時代にはこの地に伝馬役が住んでいた。生活が苦しいとお上に泣きついたところ、耕地を与えられて伝馬役を継続した。
さらに近隣の農民もこの地に移住させ、農地を与え、宿場並みの町を整備。やがて石巻村に編入された蛇田町には、明治22年に遊郭ができて「旭町」に改称した。
もはや手がかりはこれだけしかないので、どこに何があったのかもまるでわからない。
帰りは、東に並走する県道33号線を歩いてみた。
津波が遡上してきた旧北上川に近いこともあって、この辺りでは肩の高さぐらいまで浸かったらしい。考えただけでも身の毛がよだつ。
ふと脇道に目をやると、古い木造家屋が目についたので自然と足がそっちに向かう。
さすがに妓楼ではなさそうだが、雰囲気も風格も十分。
目の前は割烹の駐車場。割烹の存在が微かな色街の名残を感じさせる。
そのすぐそばで赤い鳥居を発見。遊郭との関連は不明だが、あながち無関係でもないような気がする。
はじめての石巻は約20時間という短い滞在時間だったが、それは決して時間で計ることの出来ない得がたい経験であったと今ではそう思っている。
[訪問日:2015年7月20日]
〒986-0826 宮城県石巻市鋳銭場9 石巻駅
コメント
復興しつつある街というか
回復しつつある街。
なんというか、空気が伝わってきます。
すべてがもとに戻ることができないが
少しずつ、普段を取り戻している感じですね。
あの震災の一年後に仙台空港付近を尋ねました。
そうなんです。5年が経ちますが、復興がままならない場所だって実はまだあるんですよね。
現地を歩いているのでよくわかりますが、あの震災は大地にも人にも相当深い爪痕を残しました。