福島県の観光スポットの中でも常に上位にランクインし、無類の安定感を誇るのが「大内宿」である。
江戸時代に会津若松と日光を結ぶ「会津西街道」の宿場町として栄えた場所で、今でも40棟ほどの茅葺き家屋が立ち並ぶ。この、峻烈に往時の風情をとどめる定番観光スポットには、なんと年間100万人以上もの人が訪れるという。
しかし現地に着くまでがありえなかった。
国道121号から県道に入り、大内宿までは5kmほどあるのだが県道に入った直後に大渋滞でまさかの足止め。ぴくりとも動かない車列。
しかしそこはバイクのアドバンテージ。前方の数台が対向車線を駆使しながら強行突破スマートに走ってくれたおかげで、こちらも大した遅れにならずたどり着くことができた。
※大型連休は空前の渋滞が発生します。旅の計画は余裕を持って立てるようにしましょう。
大内宿があるのは福島県南部の南会津地方。南会津町と、鶴ヶ城と白虎隊で有名な会津若松市の中間あたりの山間に位置する。
江戸時代には参勤交代する会津藩の大名や、旅人、商人などで賑わった。
全国で三番目の伝建地区
早速茅葺き屋根の家屋が登場。
しかし、会津藩の参勤交代のルートが幕府によって白河経由に変更されたことなどが理由となり、大内宿は人の往来が徐々に減っていく。そのため、純粋な宿場町ではなく「半農半宿」だったという特徴がある。
たぶん…宿屋だけじゃ生活できなかったんでしょう。
しかし皮肉にも、「幹線」から外れたことで昔の町並みがそのまま残り、結果として大内宿は1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
『宿場町』の種別で全国で三番目の重伝建という、かなりの古株である。
茅葺きの家々は、民宿、食事処、土産物店などをそれぞれ営んでおり、観光客を迎え入れている。
ここが旧会津西街道…こうして道の真ん中に立つと光の速さで現実感がすっ飛んでいった。
時代劇のセットと見紛う光景。まさにリアル江戸時代である。
「ちょっと江戸まで参勤交代行ってくる」なんてセリフを思わず口走りそうになった。
とある店先の休憩処。「予約席」かと思ったら「美人専用」と書いてあった(笑)
これ、美人じゃなかったら通行人に(脳内で)総ツッコミ受けるよ?
逆に美人でも、「あの人自分のこと美人だと思ってるんだ」って囁かれるよ?
これ座るの、相当勇気要るよね?
さて。大内宿には「ねぎそば」なる、添えられた太ネギを箸代わりに使うという何ともワイルドな名物があるんですが、お昼食べてから行ったので食事はせず。どうせ混んでるのわかってたし。
代わりに焼き団子もぐもぐしながら歩きました。うまし。
いかん。こんなの見るとつい缶ビールに手が出そうになる。
道の両サイドにあるこの用水路は、かつては道の真ん中を流れていたのを1886年(明治19年)に付け替えられたそうである。
なかなかスタイリッシュな蔵だなぁ…とか思ってたらなんと民宿だった。
ここに泊まる姿を想像すると、「民宿に泊まる」より「蔵に幽閉される」のほうが表現として妥当な気がしてきた(笑)
重伝建に選定される以前、住民は県から打診を受けていたものの否定的だったそうである。
すでに選定後30年以上が経つが、はじめは複雑な思いもあったのかもしれない。
しかしながら、行政の後押しや住民の努力もあって、観光地として粛々と整備され現在の美しい景観は維持管理されている。
それがあまたの衆目を集める町並みであることは周知の事実である。
高倉神社へと続く大鳥居。
まるで太古の日本を見ているかのような、今どきの安っぽい言い方をすればこれはそう、まさしく「スピリチュアル」である。
(2ページ目へ続く)
コメント
ここは、観光地だから混むよね。
昔、早朝に探索してきました。
意外と、普通の民家も混じっていますね。
いや、もう完全に舐めてました。早朝というのは正解ですよね。
民家は裏通りに多かったような記憶があります。