鬼怒川温泉の赤線跡「花の町」「京町」を歩く

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飯坂温泉から高速で一気に南下し、塩原温泉と霧降高原を経由してからこの日は鬼怒川温泉で投宿。
昔小学校の修学旅行で東武ワールドスクエアに来たことはあったものの、鬼怒川温泉は初訪問。

翌朝。最終日となったこの日、まずは温泉街にあった赤線跡を散策してきた。

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結局、出発から帰宅まで5日連続で晴れ。ちなみに長野・新潟にツーリング行った前年のシルバーウィークもすべて晴れ。
この旅でも驚異的な晴れ男っぷりが証明されました。

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さて、鬼怒川温泉には「花の町」「京町」なる二ヶ所の赤線があったという。そのうち、まずは花の町から見て行くことにする。前方右手の階段を上ったところが目的地である。

〒321-2522 栃木県日光市鬼怒川温泉大原 鬼怒川温泉駅

うっかりして場所を伝え忘れていた。
地図上、中央に植え込みのようなものが見えるこの路地が元赤線、「花の町」。
で、南側の階段からアクセスしようというわけである。

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花の町

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( ゚д゚)ポカーン

どう見ても遊里です本当にありがとうございました。
いや、ここに立った瞬間ちょっと永真遊郭を思い出した。

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温泉街から離れたこんな隠れ家的な場所にまさかこんなものが残っていようとは・・いやー舐めてました鬼怒川温泉。

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で、気になるのがここどんな赤線だったの?ってこと。
昭和30年の『全国女性街ガイド』には以下の描写がある。

赤線は“暴力の街”“ヤマの女”として有名で花の町<通称ヤマという>に16軒52名。町端れの京町に11軒27名いる。二つとも暴力的に引張り、最近は川のたもとまで客呼びにきているから要心。泊りは宿へ呼ぶと二千円に素泊五百円<万事が思い上った暴利>とられるが、押しかけると千円でオンの字。情緒なし。

…どうやらここは修羅の国だったようです。

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遺構への接近を試みる。どうやら営業時間は夜11時までだったようである。
さっきの酷評を読む限り、とてもルールを遵守していた場所とは思えませんがね。

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ふむ。ここは料理店だったようである。ここも16軒にカウントされてるのかな。

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やーこれは実に艶っぽい。
現役時代はさぞかし繁盛したんだろうな。

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この小窓から女給たちが顔見世してたのかなぁなんて想像するだけで胸熱である。
それにしても旅の最後にいいもの見れた。
「終わりよければすべてよし」である。

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廃屋なのになぜ自転車が置かれてるのかよくわからないけど、絶妙な場所に駐めてあったおかげでいい絵が撮れた。

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「花の町」は今では住宅街となっていて、実際のところ遺構の割合はそんなに多くはない。
その中でも、北側にあるこのカフェー建築。ドアの上部に「カフェー」の鑑札が残っていることを事前リサーチでつかんでいた。
ワクワクしながら近づいていく。

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(*・ω・)ン?

って・・なくなっとるやん!!!

下に落ちてもいなかったので、これは…盗難でしょう。おそらく。
心ないクズみたいな人がいるんですね。てか持って帰ってどうすんの。

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天気は最高、素晴らしい建物を見れてせっかくテンション上がってたのに・・
すべてぶち壊し。
人のモノ盗っちゃいけないって幼稚園で習わなかったのかよ。

犯人に告ぐ。これから此処に来るすべての人の楽しみを奪った罪は重い。

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まぁしょうがない。切り替えて行きましょう。
「花の町」の名は町名として今でも生きているようである。元色街でときどき見かけるパターン。

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北側へ抜けると、目の前にはロープウェイ乗り場。
山頂には猿ばっかの動物園、「おさるの山」があるそうです。

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北側から望む花の町全景。
“ヤマ”と呼ばれ暴力女が多かったというシマ。今では当時の情景を想像するのは困難なほど閑静な住宅街となっていた。
それでも、そこに残る遺構たちは60年のときを経て、今なお異彩を放ち続けていた。

そんな“戦果”を手に、もうひとつの赤線、「京町」へと向かう。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    鬼怒川は見つけられなかった思い出が、、、
    ここでしたか。

    • machii.narufumi より:

      僕もたぶん自力じゃ見つけられなかったと思います。。
      参考になれば幸いです。

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