ざっと中村遊廓とは何ぞや、という話と大ざっぱに現在の街並みを眺めてきたので、早速当時の遺構の数々を紹介していきたいと思う。
松岡健遊館
※『松岡健遊館』は2023年8月から解体が始まり、11月頃に更地になりました。残念でなりません。
大門通りの北側、日吉町にあるこちらはデイサービスセンターの「松岡健遊館」。
大正時代の建物で、1993(平成5)年に名古屋市の都市景観重要建築物に指定されている。
ちなみに市の公式サイトを見ると、「大正時代より、名古屋の遊興地として賑わいを見せた大門地区内の北寄りに位置しています。」などと書かれている。遊興地ってまたずいぶんな変化球だなぁ(笑)
元々は「松岡旅館」、なので旅館への転業組だったのでしょう。
まぁ、今でも玄関上に「旅館」って書いてますしね。
※松岡はその後数回中へ入る機会を得ましたが、内部の様子はこちらの記事でご覧いただけます。
稲本
豪華絢爛と言う意味では真っ先に目につくのがこちらの「料亭稲本」。
健遊館と同じく都市景観重要建築物に指定されている。市の公式サイトを見ると大正12(1923)年となっているので、開業の年に建てられたようだ。
これを見たらさすがに「遊興費が日本一高かった」って話も首肯せざるを得ない。
今風に言えば、年収の多寡で門前払いを食らいそうな雰囲気すら漂っている。
弁柄色の塀そのままに「べんがら亭」と書かれている。
実は、料亭としては2009年に閉店し、今は健遊館同様デイサービスとなっている。
ちらっと内部を拝見。
こんなところで余生を過ごすのも悪くなさそうだなぁ、などと思ってしまうほどに雰囲気が素晴らしい。
市による「都市景観重要建築物」認定のプレートがついていた。
※稲本楼の建物は、全国の遊郭ファンに惜しまれながら2018年夏頃解体されてしまいました。
これは健遊館の裏側。もしかしたら昔はこっちが正面だったのかもしれない。
客同士が鉢合わせしないためのもうひとつの出入口だったんだろうと思う。
その右側にも100%元妓楼だったであろう雅な建物が建っている。
前回来たときも確認していた物件。まだ残っていてよかった。
全体的に損傷が激しいが、緑の色彩はまだ鮮やかさを失っていないように見える。
大正時代からこうして変わらずずっとここにある、って考えるとなんとも心に沁み入ってくる。
二階がまたいい。奥ゆかしさの中に荒々しさを潜めるような絶妙な配色に魅了される。
※こちらの旧「福扇」も、2019年11月についに解体されてしまいました。
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コメント
machii.narufumi様
いつも拝見しております。
私も今から10年くらい前、長寿庵をチェックしに訪れたことがありますが、まさかこうなるとは。重要建築物に指定されていても保存は難しいんですね。
ところで記事を見て、思い出したことがありまして…。
長寿庵をチェックして名古屋駅に向かおうと、夕暮れ賑町あたりを歩いていたら、道端に座っていたオバサンから「お兄ちゃん、遊んでいかない?」と声をかけられました。新幹線の時間が迫っていましたので、無視してしまいました。
現在はわかりませんが、周辺には「青」的なモグリの店もあったんですね。
mura様
いつもありがとうございます。
解体の経緯は私もよくわかりませんが、所詮市が定めたものゆえに保存の義務はなかったんじゃないかと思います。。
10年前、賑町、ポン引きですか・・非常に興味深いお話です。もしかしたら今でも夜になればそのようなことがあるのかもしれませんね。
こんばんは♪
以前 津島神社周りを投稿の際 検索したら このサイトに出会いました
今回 中村区 大門を 散策できたので 報告します
稲本楼? ベンガラ亭 2週間前から 取り壊されている真っ最中
とっても残念でした
名古屋市で保存の動きはなかったんでしょうかね・・・
河村市長に 聞いてみなきゃね
こんばんは。
私も解体のニュースを聞いて7月末頃に足を運んだのですが、そのときはまだそこまで取り壊しは進んでませんでした。
今はもうかなり進行してるのでしょうね・・
これはまた聞きなのですが、稲本はオーナーが保存したくない意向だったそうです。
残念ですけど仕方ないですね。