岡崎・板屋町『龍城連』跡を歩く

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相変わらず季節感なさすぎで申し訳ない次第なんですが、昨冬の東海遠征第8弾。
このブログも、気づけば都道府県別では愛知県の記事が3番目に多いという状況に。そんな行ったのか・・

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岐阜、名古屋近辺を歩き、東へ戻りがてら立ち寄ったのが中部を代表する都市、岡崎市。
昔旅の途中に一泊したことがあるけど、観光(たぶん「観光」とは言わないw)ははじめて。

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岡崎と言えばあの家康公の出生の地。まぁこれは有名な話なんであえてここで触れることでもないでしょう。
そんな岡崎の板屋町にかつてあった遊郭を見に来たというのがこのときのこと。

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遊郭から花街へ

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はい、いきなり現地の様子から行きましょう。この幅員を見れば一目瞭然。

名鉄の「岡崎公園前」、もしくは愛環の「中岡崎」から東へ歩くこと5分。

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一見、住宅街の中にあるただの路地なのに、ちゃんと「板屋本通り」という名前がついている。
この遊郭は大正12年に同じ市内の「中町」に移転したものの、花街の機能だけはここに残り『龍城連』の通称を持つ花柳街としてその後も営業していたという。

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その色街の名残として最もわかりやすいのが通りにでーんと建つこのホテル。駅近の住宅街の真ん中にこんなん建てるなよw

ストリートビューを見ると2015年11月時点で絶賛改装工事中なので、どうやらオープンしてすぐだったようです。
写真撮ってたら若いカップルの車が中に吸い込まれて行きました。正月早々お盛んなようで何よりです。

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そしてその向かいには明らかに遺構と思われる建物が一軒。

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料理店の鑑札が残っていた。これはもう花街の名残と断定してよい気がする。

ちなみに移転先の「中町」のほうはかなり前の段階で名残はほぼ皆無という情報を掴んでいたので、そもそも今回行っておりません。

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この小料理屋、往時は「みどり」という屋号だったようである。

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その先、今度は急に幅員が狭くなり「なにごと?」と思った先に稲荷神社が登場。
ここに貸座敷があった頃から遊女たちの信仰を集めていたのであろう。

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このあたりは戦災を免れたようで、思っていたよりちょこちょこ古い建物が残っていた。
しかし大正時代には花街になっているので、その多くは妓楼ではなく料亭や待合の類ではないかと思う。

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いかにも妖しさ満天の建物。いずれも間口が狭く、ウナギの寝床の様相を呈している。

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ここも料理店。そして生駒新地で見られるようなプレートがついている。
一応風俗営業だから無論子供は入ってはいけない。

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カタカナで「サツキ」・・ってこれはひどいw
誰かが釘で書いたようにしか見えない。。屋号だろうか。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. レオ より:

    こんにちは。はじめまして。
    宿場町や古い町並みが好きでちょこちょこ
    歩き回っているのですが、ネットでいろいろ見てたら
    こちらに辿り着きました。
    岡崎の隣町に住んでまして、このような場所が
    あることさえ知りませんでした。

    明治~昭和な雰囲気の町並みも好きでじっくり
    歩いて回りたいと思ってたところ、こちらを
    発見して大変ありがたく思っております。

    記事が充実し過ぎて凄い(笑)
    今後とも更新楽しみにさせていただきます。

    さて今日は中村遊郭跡と港陽にでも行ってきます。

    • machii.narufumi より:

      レオさん
      ご訪問&コメントありがとうございます。
      明治~昭和でしたら私も好きな時代なのですが、現状サイトが色街に偏りすぎてるのが少々心苦しいところです(苦笑)

      愛知は先日「有松」が重伝建に選定されましたし、古い町並み多くていいところだと思います。
      今後ともどうぞよろしくお願いします。

      暑いので熱中症にはお気をつけ下さいね。

      • レオ より:

        ありがとうございます~
        中村遊郭も尾頭橋もとてもよかったです。
        港陽はご主人さんがちょうど表にいたので
        少しお話出来たし。

        これからじっくり拝見させていただきますので
        今後ともよろしくお願いします~

        • machii.narufumi より:

          いえいえこちらこそ~

          レオさんもサイトもちょくちょく遊びに行かせてもらいますね。よろしくお願いします。

  2. マキ より:

    はじめまして、しみじみ拝見させていただいています。
    岡崎はお城の少し東側が康生町(コーセーと発音)といいまして、90年代ころまでかな、多分西三河最大の商業地区で、買い物客で賑やかだったのです。わたしも土曜の午後にはレコード屋や本屋などに行ったものです。今はかなり寂れてしまったようですが。「康男さん」と「康子さん」が多い街です(笑。
    朱色かな、とても古くてちょっと大きいダンスホールがあって、調べると96年に閉店し、今は双竜という小さな喫茶店になっているようですね。ダンスホールに行ける年齢ではなかったので、今から思えば残念でした。友人は「あれは文化遺産として残すべきだった」と言っていましたが。周囲からあまりに浮いていたのは事実ですね。
    では、失礼します

    • machii.narufumi より:

      こんばんは。コメントありがとうございます。
      西三河最大とはよほど栄えていたのですね。
      その喫茶店、地図で確認したらしっかり前を通っていました(笑
      見てみたかったなぁ…そのダンスホール。

      よろしければまた遊びに来てくださいね。

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