豊川稲荷の門前町…花街の残照

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豊川稲荷の門前町ともなれば、昔はそれはそれは賑わったことだろうと思う。
人が集まるところに遊里あり。遊郭があったことは前回触れた通りだが、どうやら花街もあったらしい。

というか、この目で見てきたことがまさしくそれを物語っていた。

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花街の名残らしきものたち

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あまりの人の多さに辟易し表参道から脇道に入ると、粋な小料理屋があった。

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そこには小料理店の鑑札。

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豊川稲荷の手前で南側へ離脱し、並行する路地へと歩を進める。
こっちは人がほとんど歩いていない…極楽である。一本違うとこうも違うものか。

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花街があったというのはWebから得た情報で、自分で調べたわけではないことを断っておく。『全国花街めぐり』を見ても豊川の記載はなかったので、大した規模ではなかったのだろう。

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満身創痍なバラック建築を見るとテンションが上がるって人として大丈夫なんだろうか、とか思うときがあるけど、そういうのは気にしたら負けだと思っている。

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前方に三階建ての巨大な建物。これは何かありそうだ。

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玄関には「五月」の屋号。左に視線を移すと・・

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料理店の鑑札。かつては芸妓の出先だったのではなかろうか。
というのも、同じくネットからの情報によるとこのあたりには芸妓置屋が数軒あったという話である。

豊川稲荷に参拝した帰りにここで羽目をはずした旦那衆が昔は大勢いたことであろう。

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その先の細い路地へ。鼻血が出そうなほどの風情である。
なお、このあたりが置屋ゾーンだと言う。至極納得。

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右手には「森川」と書かれた元料理店。

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柱には、まるで塩素で漂白でもされたのかと思うほどに色が抜けてしまった鑑札が残っていた。
早幾星霜…流れた年月を思う。

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路地はゆるやかにカーブを描く。まさしく「狭斜の町」と言うべき雅な趣きを醸し出していた。

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その近くで見かけたレトロ喫茶。時間があったら珈琲の一杯でもすすって行きたかった…ってこれ毎回言ってるな(笑)
あいにく遠征中は常時カツカツの行程を組むので、呑気に茶をしばいてる暇など皆無である。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    その喫茶店入りました~!
    味、値段も当時としては普通だったような。

    その日の私のル-トは、豊川~豊橋~港陽園~八幡園でした。
    車で一泊です。

    • machii.narufumi より:

      おぉ入りましたか!

      色街めぐり車中泊とは素晴らしいですね。しかもテッパンコース。
      ちなみに次の記事が豊橋です(ネタバレ)

  2. ちゃーぱぱ より:

    こんにちは。
    私は円福に住んでいたことがあります。1972年頃から78年にかけて(小学校に上がる頃までの幼い頃)、元遊郭の建物に住んでいました。
    今は取り壊されて別の家が建っていますが、ご指摘の通り、建物はニコイチとなっていて、続きの建物とは薄い壁で仕切られていました。隣の家の子どもと壁越しに会話した思い出があります。
    2階建ての建物にはお風呂がなく、毎日銭湯に通っていました。お風呂はないのに、トイレは1階、2階の両方に付いていたのが遊郭の名残だと思います。
    朱色壁の建物は、少なくとも1978年頃までは料理旅館として営業していました。

    私の母は芸妓でした。置屋の場所は航空写真でのご指摘の通りです。「五月」の裏側のすごく細い路地にあり、幼い頃、置屋のおかみさんにお年玉をもらったり、ずいぶんかわいがってもらった記憶があります。

    豊川稲荷の門前には今も料理屋がいくつか残っていますが、そのあたりが仕事のメインだったようです。三菱UFJ銀行の裏手あたりも花街でした。

    • machii.narufumi より:

      こんばんは。
      実話に基づいた貴重なお話。当時の情景がありありと浮かんでくるようです。また、円福に芸妓さんが住んでらしたとは驚きです。
      長らく当時の建物が二軒だけの状態が続いておりましたが、件の朱色の建物は昨年末あたりですか、家主のお婆様が亡くなられて解体されたと聞きました。
      非常に残念です。

      三菱UFJ銀行の裏手あたりもやはり花街だったのですね。そうだと思っていましたがこれではっきりしました。
      貴重なお話を聞かせていただいて本当にありがとうございます。

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