灯台もと暗しである。
地方にばかり目を向けずに、もうちょっと都内を歩け、と。気のせいか空から啓示が聞こえたような気がしたので(笑)、この春先、集中的に花街の名残を探訪してきた。
計8回のシリーズでお届けします。第一弾は芝神明。
大門なんて久々に来たな。東京タワーはここをまっすぐ。いつもならそうなるところ、今日はここを右に曲がる。
ちなみに大門は増上寺の総門がその名の由来。江戸時代は門の手前に橋が架かっていたらしい。
芝神明は男色がルーツ
芝大神宮。江戸時代、この界隈に陰間茶屋(ハッテン場のこと)が跋扈し、それがお上に潰されると今度は料亭がぽつぽつと開業。それが芝神明花街のルーツだという。
鳥居に向かって右手に、ぽつぽつと遺構の残る路地がある。
(たぶん)元見番。満身創痍すぎて目も当てられない。
こちらは元料亭のように見える。
東京のど真ん中の港区で、いまだにこんな建物が残る路地があること自体がもはや奇跡ですらあると思う。
浜松町、大門から脇目も振らずに東京タワーを目指す人々の一体何パーセントが芝神明花街のことを知っているだろうか。
そして、実際にここへ足を運ぶだろうか。
そんなことを考えさせられる場所だった。
その先。もう一軒あった。
ここは大正末期から昭和初期頃が最盛期だったようで、その頃料亭・待合が40軒あまり、芸者は約120名。
40軒ってことはエリアももっと広かったのだろう。
今では並行する二本の路地に数軒の名残しか認められなかった。
これがもう一本の通り。
そしてこれがこの路地唯一の遺構。リノベされたようで「とんかつ」の看板がかかっていた。
浜松町駅の金杉橋口近くにある讃岐稲荷神社。ここの玉垣に芝神明花街の文字が見て取れる。
神明藝妓組合。
め組とは江戸時代の火消し、今で言うところの消防団。「め組の喧嘩」と呼ばれる乱闘事件を起こしたことで知られるめ組は、芝神明を本拠としていた。
芝神明編 完
[訪問日:2016年3月30日]
コメント
10数年前に芝大神宮で厄除けしていただきましたが
そのころと、あまり変わりませんね。
鶴田浩二、、、あの鶴田浩二なんだろうか?
あの鶴田浩二みたいですよ。なんでしょう、ここの花街の常連さんだったんですかね。