はや1週間が経ってしまいましたが、2017年第一弾ということで。今年もどうぞよろしくお願いします。
前回の続きで、ついでに京島地区を歩いてきましたよ、という話。ここもキラキラ橘同様、4年ぶりの訪問。(一部そのときの写真を使用してます)
建物倒壊危険度ワーストの実力
今、東京で大地震が来たらどうなるか?みたいなことが議論されがちな昨今、その手の話題に必ず登場するのがこの京島地区。
京島地区は幸運にも戦災を免れた地域で、戦前の木造住宅がそこかしこに残っている都心でもあまり類を見ない稀有なエリアなのだ。
下町の代名詞とも言える入り組んだ細い路地とくたびれた木造家屋が織り成す光景はすでに文化遺産級である。まち歩きをするならこれ以上の場所はないとさえ思う。
だが、それは取りも直さず、自然災害の前ではあまりに無力な街ということに他ならない。
事実、京島二丁目においては『建物倒壊危険度』という不名誉すぎる称号で都内のトップに君臨している。
前回訪れたのが2012年だったので知るすべもないが、東日本大震災で解体を余儀なくされた建物もおそらくはあったのではないかと思う。正直、ここを歩くと「よくあの揺れに耐えたな…」と思わずにはいられない建物がかなり目につく。
「手つかずの下町」という表現がしっくり来る渋い町並み。細い路地は迷路のごとく入り組んでいる。
再開発が進む京成曳舟の駅前あたりからスタートすると、よもやこのような風景に出会えるとは思いもしないだろう。それほど、両者の間には今や埋められないギャップが横たわっている。
そのギャップがスカイツリー効果によるものであることは明白であり、それを思うときなんとも混沌とした気持ちにさせられる。
もはや半世紀では済まない時を刻んだ古色蒼然としたトタンハウスと、自立式電波塔で世界一の高さを誇るスカイツリー。同じ地域で共生していることが不思議なほど、いびつな組み合わせだと思う。
すでに界隈からは、駅前のタワーマンションが否が応でも視界に入ってくる。新旧のコラボレーションと言えば幾分響きがよいが、筆者的には残念な光景でしかない。
まるで、富と権力を誇示する為政者が下々の民衆を嘲笑しているかのように見えるこのアングルがどうしても好きになれないのだ。なんでよりによって墨田区に作ったのか。新宿あたりでよかったのに。
もう10年、20年もしたらこのあたりも真新しい戸建てがぽつぽつ紛れ込むつまらない町並みに変わってしまっている気がするな。
味のある町工場や個人商店も以前に比べればだいぶ数を減らしたと聞く。それは高齢化という悪魔がもたらした、抗しがたい現実である。
下町情緒や人情に溢れるこの街も少しずつ姿を変えていくのだろうか。なんとか後世に残してほしいものである。
ずっとこの街を見守ってきた銭湯の煙突は、変わりゆく町並みに何を思うだろうか。そんなことを考えながら、曳舟の地に別れを告げた。
[訪問日:2016年4月15日]
〒131-0046 東京都墨田区京島2丁目
コメント
ことしもよろしくおねがいします。
ここは、聖地ですね。
コメント遅くなりました~
今年もよろしくお願いします!