諏訪大社と花火大会で有名な諏訪湖のそばにはその昔遊廓があったらしい

この記事は約3分で読めます。

久しぶりに長野方面へ行く機会があったので、上諏訪の元遊郭、現花街である大手界隈を歩いてきた。
上諏訪は何年ぶりだろう。前に来たときは千人風呂で有名な「片倉館」に立ち寄ったっけな。

大手はJRの上諏訪駅から南へ徒歩5分ほどとかなり交通の便がよい。もう少し南下すると諏訪高島城のある高島公園に至る。

目印にしていた“真澄のゲート”がなくなってたせいで少しウロウロしてしまったものの、なんとか場所がわかったのでここから散策開始。

※真澄は長野の銘酒

スポンサーリンク

スナック街に少しの遺構が残る

昭和5年の『全国遊廓案内』には上諏訪町衣之渡(えのど)遊廓の名で紹介されている。

この遊廓は明治の初年に初めて設置されたもので、私娼、飯盛女等の進化したものとされている。現在娼楼は八軒あって、娼妓は三十人いる。
(中略)
町には芸妓もいるので呼ぶことができる。大芸妓一時間玉代一円、小芸妓一時間玉代七十銭である。

とまぁ、温泉街だし芸娼妓混合の廓だったようですね。戦後はどうなっていたのかというのをおなじみ『全国女性街ガイド(昭和30年)』から。

諏訪湖の東南岸にある上諏訪は置屋十二軒に五十名。下諏訪は二十三軒に八十名。
(中略)
赤線は上諏訪が踏切周辺に三十軒、百五十名。下諏訪は町の西端、中仙道沿いで昔の御田遊廓、七軒に二十名ほど。

ってことは、花街のほうは戦前から一貫して有り続けてるわけか。遊郭のほうは赤線になってその後消滅したのかな、たぶん。ここは上山田のような噂は聞いたことがないし。

お、早速花街風の遺構が一軒。

うあぁこれはひどい。。

さぞ昔日は風情のあったであろう渡り廊下が崩落一歩手前。(-∧-;) ナムナム

そうそう、ちなみに下諏訪のほうは名残が皆無らしいということと時間的な都合ではなから寄る予定はありませんでした。

あっちも温泉あるし、実は諏訪大社って参ったことがないので行ってみたいと言えばみたいんですけどね。

上諏訪エリアは、歩いてみるとスナックばかりで味のある建物はあんまり見当たらなかった。赤線があったという踏切の周辺も歩いてみたけど、カフェー建築のひとつも見つからずで想定内とは言えちょっとがっかり。

それでも、花街を思わせる粋な建物は何軒かあったので収穫がゼロだったわけではないんですよ。例えばこれとか。

料理店の鑑札も残ってた。

ね、スナック多いでしょ。

左手はさらにこんな感じ。

右手に見える洋風の建物が諏訪大手見番。郵便局のそばにあります。

かつて300人もいた芸者が、2006年には3人まで減り消滅寸前まで行ったところを、翌年に組合を作り、後進の育成を始めた・・そうなんですがその後の情報がよくわからない。順調に半玉が育っていればいいんですけどね。

時代が変わったと言えばそれまでだが、やっぱり全国どこも花柳界は苦しい。

夜は歩いてないから憶測に過ぎないけど、供給過多に見えるスナックたちもなんとか保っているような状況のような気がする。

10年後に来たら空きテナントや廃業した店舗ばかり・・みたいな展開になっていやしないだろうか。

路地には三味線の音が響き芸者がそぞろ歩く情緒の街は、長い時間をかけて場末の盛り場へと不可逆的な変化を遂げてしまった。

なんともうら寂しい気持ちを抱きながら、何年ぶりかの諏訪の街を辞することにした。

[訪問日:2016年5月31日]


コメント

タイトルとURLをコピーしました