新宿遊郭跡を歩く[2]

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江戸時代、新宿二丁目には内藤新宿という宿場町があった。
そこには飯盛女(遊女のこと)を置く旅籠も多く、それがのちの新宿遊郭へとつながっていく。

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投げ込み寺

DSC_0024
さて、新宿遊郭の北東に、成覚寺というお寺がある。

遊女たちは、過酷な仕事で病死したり客と無理心中させられたり無残な死に方をする者が多く、死んだら投げ込み寺に葬られるのがおよそ一般的であった。
内藤新宿の遊女たちの投げ込み寺となったのがここ成覚寺であり、境内にはそれを示す碑が残されている。

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それは子供合埋碑と呼ばれ、遊女のことを「子供」と呼んでいたことからつけられた名である。
遊郭が廃止になるまでの期間、およそ1600人の霊がここに眠っている。
考えてみたら途方もない人数であるが、宿場の発展に欠かせなかった遊女屋には、このように若くして無下に命を落とした女性たちが大勢いる。
そう思うとどうしても手を合わせなくてはいけない衝動に駆られてくる。どうぞ安らかにお眠りください。

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これが合埋碑。このお寺には明治時代の過去帳が残されており、亡くなった遊女たちの年齢や戒名が記載されているらしい。
それによれば、85%の者が19~24歳で亡くなったとのことで、これだけ見てもいかに過酷な仕事であったかが想像できる。このような、ほとんど知られていない裏の歴史は知るだけでも価値があると言えると思う。

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さて、ふたたび仲通りへと戻ってきた。
これもたぶん当時から現存する建物かと。壁は塗り直してるみたいだけど。

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仲通りの中央にある交差点。
ここにかつて遊郭があったなんて言ったら気が触れたのかと言われかねないほど普通すぎる繁華街の光景である。

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ただ、目をこらしながら歩くとところどころおや、と思えるものが目に飛び込んでくる。
たとえばこのタイルとか・・違うかな。さすがに。

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これも。
遊里跡を歩く人たちに共通する習性は、タイルや丸窓についつい反応してしまうところだと思っているのだけど間違ってないですよね?(笑)

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これもどことなく赤線時代の建物の匂いがする。
ちなみに、戦後は仲通り交差点から見て北半分が赤線、南半分が青線だったらしい。
これから見て回るのは南側、つまり正確に言えば「青線時代」となる。
って、なんか言い回しが朝鮮半島みたいだな。

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こういう(赤線や青線跡)ところを歩くときは、どうしてもそういう(この窓、この部屋で男女の愛憎劇があった)目線で見てしまう。
いや、実際そういうところなんだからむしろそれが健全だと思ったりもするんだけども。

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質屋もつきものです。はい。

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なんかもうほとんどの建物を疑ってかかってるわけで。写真整理したらこういうのが無駄に多かったあたりがすべてを物語ってます。

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どう見てもマンションなんだけど、ひしめくようにゲイバーが占拠入居している異様な光景。
ディープな街だなぁ、新宿二丁目って。

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見上げれば・・ほらこの通り。
筆者はゲイバーには興味がないので、これにて調査は打ち切り。

おもに二丁目の遊郭跡を歩いてみて、当時を知る手掛かりはもはや成覚寺くらいにしか残っていなかったけど、現在でもその流れを汲む街が形成されているのが品川、板橋、根津あたりとは明らかに違うところ。
何より、実際歩いてみてその歴史に少しでも触れてみることができたのはよかった。

興味のある方は是非歩いてみてください。

【訪問日:2014年4月20日】

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