兵庫県で観光と言えば「神戸」「有馬温泉」「淡路島」「姫路城」などがぱっと浮かぶが、今回足を運んだのはそのどれでもなく、丹波篠山市という中東部に位置する山間の中都市である。
目的はそこにあった遊郭跡「京口新地」である。
舞鶴若狭道の丹南篠山口ICから東へ5km。住所で言えば池上というあたりに京口新地はあった。
大正楼
目指す場所にはホームセンターのコーナン篠山店があるのですぐわかると思う。
県道を挟んだ北側の路地が廓への入口になる。
いきなりとんでもないものがお出迎え。30年前のトヨタスターレットである。スタッドレスが積んであるところを見るとまだ走る・・ってことか。いや、でもサイドミラーがないぞ(笑)
ここで京口新地について、全国遊廓案内から引用してみたい。(読みやすいように旧字と仮名を少し変更しています)
篠山町遊廓は兵庫県篠山町糸口新地にあって、汽車なら福知山線佐野駅で篠山線に乗り換え賀古川の上流篠山駅で下車する。現在貸座敷二軒娼妓約百十名位居り陰店(かげみせ)を張って居る御定まりは一時間二円位で宵から引迄四円位、又昼間三円五十銭程度である。
貸座敷二軒に対して娼妓百十名というのは多い気がする。糸口というのが昔の地名なのか単に誤植なのかは不明。
篠山町遊郭は、明治41年に歩兵第七十連隊がこの地に開設されたことを機にできたという至極わかりやすい起源を持つ遊廓である。
ここが、本記事の表題にした、阿部定が娼妓として最後にお勤めしていた妓楼である。
好き者であればおそらくその名を知らない者はいないであろう有名な女性である。1936年の阿部定事件はあまりにも有名。
生々しくもすべてが当時のまま残されている。
こんな片田舎の言ってしまえば誰も知らないようなマイナーな遊郭が役目を終えた後でもある意味脚光を浴びているわけだから、まさに阿部定さまさまだと言える。
元々芸妓だった定が娼妓に身を落とし、全国各地の遊郭を転々として、最後に流れ着いたのがここ篠山の地であった。しかし下等遊郭であった大正楼の仕事はキツく、わずか半年ばかりでここから逃げ出している。
阿部定事件をモチーフにした「愛のコリーダ」という映画があるのだが、ツタヤでレンタルしようとわざわざ家から離れた店舗に借りに行ったらまさかのVHSで泣く泣く手ぶらで帰ったという出来事があった。
さすがにビデオデッキはもうないよ(泣)
ここから逃げ出したのが1932年(昭和7年)のことであるから、この大正楼は優に築80年以上は経っているわけで、それだけでもここまで来た価値があったと思わせてくれる。
妓楼という建物は、だいたいが建築技術や材料に対してはその当時の粋を集めて造られるわけだから長持ちするのはある意味当たり前なわけであるが、全国的に見ても主がいなくなって取り壊されるケースが相次いでいるのもまた現実である。旅館に転業して現役なところもまだまだあるにはあるが、この事実はいつも向き合うたびなんともやるせない気持ちにさせられてしまう。
裏口にはトタンが打ち付けて入れないようになっていた。そりゃそうだ、面白がって入る阿呆な輩が絶対いるもんな。それにしてもこの牛乳ポストはレトロマニアにとっては垂涎ものである。
コメント
昨日でしたか、地元紙に「大正楼取り壊しへ」という記事が出ていたとネットで知りました。勿論、現地に行って見たかったのですが、仕事が忙しくて日帰りすらも無理です。撮影した写真こそありませんが、木村聡さんの写真集、実話ナックルス2010年7月号(こんな雑誌の愛読はしてません!)、そして「驚きももの木20世紀阿部定ま事件」の録画映像と残してありますのでくいはありません。卑しい話ですが、取り壊しの際、現場に潜入したら何か貴重な品が出てこないかな・・・なんて期待してしまいます。
一昨日の丹波新聞ですね。私も見ました。昨年の台風で半壊したと聞いて、実は年末に様子を見に行って行政代執行待ちなのを知っていましたので驚きはありませんでした。
ただ、来るべきときが来たか、そんな思いです。解体中に行ければラッキーですが、解体後でもよいのでもう一度行こうと思っています。