娼妓・阿部定終焉の地「京口新地」を訪ねる[2]

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阿部定が娼妓として半年間過ごした兵庫県は篠山市の「京口新地」をはるばる訪ねに行ったわけであるが、ここには大正楼以外にももう一軒遺構が遺されている。

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モダンな妓楼

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大正楼前から南側を望む。前回書いた家電量販店のジョーシンが見える。京口新地は、南北で言えば実に100m程度しかない。1分も歩けば端から端へたどり着ける。

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北側の端には用水路が流れている。おそらくこれが当時「中」と「外」を隔てる役割を果たしていたのだろうと思う。

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そしてこれがもう一軒の遺構である。
純然たる妓楼建築であった大正楼に対して、モダンな要素が入ったどちらかというと戦後派カフェー的な佇まい。
意味がわからないことに、なぜかこの写真が一番引いて撮ったもので行った自分でさえ全景がわからない(涙)
あ、そうだ、確か向かいに立ち話してる住人がいて遠慮しながら撮ったからこうなったんだっけ。そんな記憶が。

【2017年6月追記】

※2017年4月に再訪しました。全景写真貼っておきます。ちなみに大正楼もまだ健在でした。

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というわけであとはすべてアップなんですが、屋根を見る限り元々妓楼でファサードだけ洋風にリフォームしたと見るのが正しそうですね。

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妓楼建築とカフェー建築が同居する建物なんて全国探してもそうそうないと思うわけであって(少なくとも筆者は記憶にない)、実はかなり貴重なものを目の当たりにしてたんだな。
当時は遊里めぐりをまだ始めたばかりで、歩き方や見方があまりよくわかってなかった。今思うともったいない。

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取っ手が斜めというのはよく目にするけど、こういう風に横にまっすぐというのは逆に珍しい。
それにしても今写真で見てもほれぼれするような艶っぽさ。当時の情景を想像するだけでご飯3杯はいけそうである。

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ポストのところ、よく見ると「便郵」と書いてある。当時としてはこれは相当モダンだったのではなかろうかと。

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ガラスごしに中を窺うと、なんだおい普通に見えるじゃん。
って・・これはすごい。いちいち感嘆の声が漏れるほど細部にわたるまで豪華さが際立っている。欲を言えば玄関部にダンスホールがあったらカンペキだったのにな。
当時に生きて、一度でいいから登楼してみたかった・・と思わずにはいられない。

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しばし新地内をうろうろしてみた。

基本的には住宅街なわけであるが、少子高齢化の波を受けやすい地方都市においてはこのように家屋が廃墟化していくのはもはや不可避であると思う。
家人がなくなり、身寄りがないため取り壊すこともできない、仮に相続する親族がいたとしても、そこに住む気がない、壊すのはお金がかかるからそのまま、等々で放置プレイとなって朽ち果てる一方の住宅が全国的には数えきれないほどある。

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プーさんもサビが斑点化してバイオハザードの感染者のような顔色になっている。
むしろおまえが「あぶない」だろうとツッコミを入れたい衝動に駆られながら、京口新地散策は幕を閉じた。

【訪問日:2013年12月31日】

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