鳥取シリーズ第3弾は米子にあった遊郭跡。
それは現在の花園町なるところにあり、俗に「灘町遊郭」と呼ばれた。
メインストリート。
この幹線ほどもあろうかと言う道幅がすべてを物語っていた。
なお、場所はスーパーマーケット「ホック花園店」のちょうど裏手にあたる。
移転した遊郭
いつも通り『全国遊廓案内(昭和5年)』からここの記述を拾ってみる。
米子市灘町遊廓は鳥取県米子市灘町二丁目新地に在って・・うんぬんかんぬん(中略)
遊廓には現在貸座敷(揚屋)三十三軒あって娼妓は五十三人居る。(あと省略)
ここは元々は灘町二丁目で、昭和10年に今の「花園町」に改称したそうである。あーなるほど。
とは言え、実は地名が変わっただけではなく灘町遊郭は大正時代に一度引っ越しをしている。
かつては今の灘町三丁目あたり、もう少し港に近い場所にあったそうである。
道が広いだけでなく、明らかに元妓楼と思われる建物が数軒残っている。大柄な建物と独特な意匠は見る人が見れば一発でそれとわかる。
我々の目を欺くことはできない(* ̄ー ̄*)ふふん
蝙蝠の飾り窓。松とか富士山とか月はよく見るけど、蝙蝠は初めて見たな。珍しい。
灘町三丁目を地図で見ると、ちょうど米子港に面していることがわかる。
元々城下町だった米子において、鉄道のなかった時代、海の玄関口がどれほど隆盛を極めたかは想像に難くない。
事実、灘町は江戸時代には米子最大の町として、米屋、魚屋、船問屋などが軒を連ねていた。
時間なくて寄れなかったけど、現在、加茂川沿いにある「白壁土蔵群」が観光資源として往時を偲ばせている。
ちなみに加茂川って言うのは朝日町編でディスられてたあの汚い川のことねw
今も残る遺構と思われる建物は、基本どれもでかい。
その中で、最も雰囲気を感じたのがこちら。
米子最大の町として栄えた灘町には料亭がひしめき合い、花街的な性格を有していたそうである。
移転前の遊郭もそこにあったというのなら・・たぶん二枚鑑札の芸妓が多かったのではないかと思う。
『全国遊廓案内』の妓楼名に載っている、「松葉楼」「松の家」のどちらかではなかろうか。ここも相当でかい。
立派な裏口。
メインストリートは200~300mぐらいで終わりを告げる。これほどの道幅なのに、両端がいずれも丁字路という遊郭跡でよく見られる地割をしている。
南側に並行する道も歩いてみた。こちらからは建物の裏側を見ることができる。
ここを歩くとどれもかなりの大店だったことがよくわかる。とにかく敷地が広い。
スーパーの北側に、ドブのような水路が流れていた。
かつてはもっと大きく、廓の内外を隔てる結界の役割を果たしていたのかもしれない。
そんなことを考えながら花園町を後にした。
[訪問日:2016年12月24日]
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