古都・金沢を代表する観光名所、伝統と格式の「ひがし茶屋街」。
今も残る茶屋建築の中には茶屋町ができた頃からのものもあり、いくつかは一般公開されている。
そのひとつがこちら、「志摩」である。
重文(国指定重要文化財)にもなっている志摩は、文政3(1820)年、まさにひがし茶屋街ができた年に建てられた元お茶屋。
せっかくなので中を見学してきた。
一般は500円。小中学生300円。
茶屋建築を見る
文化財保護のため、手荷物はコインロッカーに預ける形式になっている。
館内には携帯やスマートフォン、小さなカメラのみ持ち込み可能。
よくわからなかったのが、サイズ感そんな変わらないのにミラーレス一眼がダメでコンデジならいいよ、って言われた件。
レンズが取り外しできるものはダメなのか…。
というわけで、ここから先は画質がひどいO社の防水コンデジで撮影。
フォトショでごまかしたのでそこまで酷さは感じられないかもしれないけど、正直これならスマホのほうがキレイに撮れたかも…ってレベル。
さて、お茶屋については前回の記事で紹介した通りである。
少し補足すると、お茶屋はあくまで場所を貸すだけということ。料理屋から料理を手配し、芸妓置屋から芸妓を手配(実際には見番がやるわけだけど)する。
というか、客を楽しませるためにありとあらゆることをするのがお茶屋の仕事。総合プロデューサー的な役割を担うわけである。
ちなみに、京都や金沢では「お茶屋」と呼ぶけど、東京の花街だとこれが「待合」になる。
前座敷。
客が床の間を背にして座ると正面に来る「ひかえの間」で、芸妓が演舞を披露する。
金屏風が見えるのがひかえの間。
襖が開くと、目の前で芸妓による艶やかな舞が披露されるという仕組み。
近づいてもう1枚。
ところで、茶屋は二階が客間となる。
加賀藩では、武士を二階から見下ろすのはいわゆる不敬にあたるということで、町人地では二階建ては許可されず、茶屋街だけが許可された。(なので江戸時代の町家は厨子二階だった)
そういう意味でも、当時の二階建てというのは非常に貴重な建物なのだそうだ。
もうひとつの「ひかえの間」。
こちらも芸妓たちのステージ。
その前にある「ひろま」。こちらも観覧席ということになる。
床の間の壁は弁柄塗り。柱は漆塗り。
ひろまの前の廊下から中庭を見下ろせる。
はなれ。
この部屋だけが柱に漆がかかっておらず、色調も含めシックなつくりになっている。
襖の引手も凝ったつくり。
釘隠しにはうさぎの頭。
コレが何なのかよくわからず、ずっとグレムリンにしか見えなかった(笑)
欄間の意匠。
弁柄色は結構胸にくるものがある。
1階へ
台所。
井戸や石室は創建当時のままだとか。
こちらが石室(いしむろ)。
要は食品の貯蔵室。地下は夏でもひんやりしていたんでしょうね。
帳場。女将さんが帳面を記帳する場所。
信頼で成り立つ茶屋遊びでは、精算は後日となる。
最後はみせの間(展示室)。
化粧や舞台の準備に使われた部屋だそう。
上流階級の町人や文人たちが通ったお茶屋は、社交の場としてお茶屋文化を育み、客の教養や芸妓の技能を高めることに寄与した。
200年の時を経て、華やかだった時代の名残を今に伝えるお茶屋建築、「志摩」。
ひがし茶屋街を訪れた際は、是非とも見学されることをオススメしたい。
コメント
昔、見学しました、
当時はもう少し規則がゆるかったような、、、
それに、展示物も少なかった気がします。
重文になったことで厳しくなったとかですかねぇ、、
色んな人が来るから、どうしても致し方ない部分はありますよね。