遊郭や赤線跡を訪ね歩くようになってから、過去に行った場所を再訪したり、生涯行くことがないと思っていた街に足を運んだり・・ということがたびたび起こるようになった。
今回は前者のほう。やって来たのは淡路島、通称「玉ねぎ島」で最も栄えている洲本市である。
それも7年ぶりとご無沙汰だったので、ずいぶんと懐かしい気分だった。
洲本市海岸通。バスターミナルのある交差点に、洲本の発展の礎を築いた当時の町長、岩田康郎像が立っている。
この銅像が遊郭への目印である。
洲本遊郭
県道と並行する、一本海側の路地が当時のメインストリート。
道幅もないし、現地に来ても残り香のようなものはまったく感じられない。
本当にここなんだろうか。
荷物を運び出している家があったので玄関の中を覗いてみると、ありふれた外観とは裏腹に明らかに遊郭時代の遺構だった。
やはりここで間違いないようだ。
※現在、この建物は解体され現存しません。
目の前に立つ大柄な建物も怪しさ満点。
成立などは詳らかにされていないが、『全国遊廓案内』には「妓楼約19軒娼妓約100名」、とある。
この規模感。それなりに繁盛していたのであろう。
詳細は不明と言えど、すぐそばに洲本港があるという位置関係から、漁師や旅客が集まるこの場所が選ばれたことは容易に想像できる。
ずいぶん不思議な意匠の民宿。転業の類と見てほぼ間違いないと思う。
地元のあんちゃんたちはともかく、観光や仕事で淡路島に来て立ち寄った男たちも多かったことだろう。
洲本が青春の1ページに刻まれた、そんな先人の方々もすでに大部分がこの世を去っている。時の流れは儚い。
『全国女性街ガイド』のほうにも、玉ねぎ島の記述がある。
洲本桟橋で降りて観光バスに乗ると嫌でも遊廓を通る仕組みになっている。
<ごく最近、学生旅行の風紀云々で別に道路をつくった>
この遊廓は案外に美形が多く、二十名ほどいる芸者もわりに揃っている。遊廓のほうの泊まりは千二百円、芸者は花代三百五十円、泊まり二千五百円。
ってことは、並行する県道のほうがあとからつくられた道で、昔はこの目抜き通りが幹線のような位置づけだったのだろうか。
まぁ・・
観光バスでこんなとこ通っちゃダメだよな(笑)
わかります。
付近を散策
どこまでが範囲だったかわからないので、ひとまずぐるっと付近を歩いてみる。
ビジネス民宿とビジネスホテルは転業旅館のなれの果てだろうか。
そのまま進むと、レトロ好きの琴線に触れるような朽ちかけた建物が残っていた。
どう見ても廃屋なので干してあるタオルの説明がつかない。
昔は何の建物だったのだろうか。
想像は膨らむばかり。
この看板を見ると、商店か何かだったのかも。
しかし錆び方と変色っぷりが芸術の域に達している。
此処まで来るとアートであるとさえ思う。
おやおや、こんなところにお稲荷さんが。
勝手ながら遊郭の名残と断定します。
目と鼻の先にある洲本港。
遊女たちもここから海を眺めたんだろうか。
目抜き通りにまったく人を恐れない猫がいたのでちょっとだけモデルになってもらった。
もうほとんど住宅街と化してしまった洲本遊郭。
淡路島に遊びに行った際には、是非立ち寄ってみてはいかがだろう。
[訪問日:2017年6月17日]
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