博物館という名のフードコート『新横浜ラーメン博物館』に行ってきた[2]

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当サイトでの紹介用に、約7年ぶりに新横浜にあるラー博ことラーメン博物館に赴いた。2月の大雪が降った翌日のことであった。

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左端の半分切れてるお店は、出店しているラーメン屋。こんな風にラーメン屋までもが昭和30年代の景観に違和感なく溶けこむようなまちづくりになっている。

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東映の映画館。1950年代と言えば、GHQによる検閲が廃止され、各社が作品を量産した映画の黄金時代。東映、東宝、松竹、日活、大映が中心となって一時代を築いた。

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やはり東映と言えば時代劇ですよね。

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ここから昭和の歓楽街

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売春防止法の完全施行で赤線の灯が消えたのが昭和33年(1958年)。

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そこから約20年間、日本はクラブ、バー、キャバレーの全盛時代を迎える。団塊世代であれば、若い頃に通ったという方も多いのでは。

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ちなみにキャバレーは現在のキャバクラとは異なるのでご注意。ホステスがいるのは変わらないが、ダンスフロアとバンドの生演奏があるのがキャバレー。必然的にでかい箱が必要になるので、その分回転率がどうしても悪くなるのが特徴。2000年以降、都内の有名店は軒並み看板を下ろしてしまった。

行ったことないけど、銀座に昭和6年創業の白いばらというキャバレーがあり今でも元気に営業している。高度経済成長期のお父さんたちの追体験をしたい方は是非足を運んでみてはいかがだろうか。

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駅前、駅裏なんかによく見る、ごちゃごちゃした路地にバーや居酒屋、小料理屋が軒を連ねている場所って大体が元青線だったりする。
こんな感じのところね。

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青線というのは、店の二階などで非合法に売春をさせていた店が集まる場所のことで、安く遊べるけどその分衛生的にアレなところであった。

赤線に遊びに行く客を捕まえて呼びこむため、自然発生的に駅の近くに形成されることが多かったと聞いたことがある。

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そう言えば、ラー博の開業にはあるひとつの明確な目的があったりするんですが、それが他でもない新横浜という街の活性化。

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新横浜駅があるところは、元々は田園地帯。新幹線の駅ができたことでオフィス街として発展していくんですが、結局休日になると人がいなくなってしまうわけで、そこで土日でも人を呼べる集客力のある施設を作ろうと。

まぁ当時すでに横浜アリーナはあったので週末に人が来ないという事態もさほど深刻ではなかったと予想されるんですが、それでも今こうして立派にその目的を果たす施設に成長したわけですから、意志あるところに道は開けるとはまさにこのこと。

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こういう純喫茶好きなんですよねぇ。喫茶店でくつろぐという習慣がないので、もっぱら見たり撮ったりするほうですけど。

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話は変わるが、ラー博は去年、20周年を機に欧州進出を発表している。すでに先を見越したビジョンを描いてアクションを起こしている。ラー博のことだからそれもきっと実現するだろう。その勢いはとどまるところを知らない。

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開業当時であればそれこそ昭和30年代というのは遠い昔でもなかったけど、今現在、昭和30年代をリアルに過ごした人たちというのは団塊世代以上の年代になるので、若くても60代も後半に差しかかろうとしている。
いずれ、ここを訪れる人も「懐かしいねぇ」から「こんな時代もあったんだ・・」に変わってゆくことだろう。

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そのときになって、改めて訪れてみようと思っている。一体どういう姿を我々に見せてくれるのか楽しみである。

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最後に、1階をちょっとだけ紹介。ミュージアムショップという土産物屋になっている。

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ラーメンや麺どんぶりはもちろんのこと、なんと寸胴まで売っている。
こんな業務用の寸胴買う人いるんだろうか(笑)
これで一人分のインスタントラーメン作ったら、って想像すると笑けてくる。

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麺やスープや具材を好きな組み合わせで選び、自分だけのラーメンを作ることができるマイラーメン。
カップヌードルミュージアムでも似たようなのがあったような・・。

というわけでラー博だけで記事二つ分ガッツリ書いてしまったわけですが、書いてたら久しぶりにラーメン食べたくなってきたな。うん、早速今週末あたりにでも。
おしまい。

[訪問日:2014年2月16日]

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