川の中州にふたつの島が寄り添うように浮かんでおり、それぞれが住宅街として機能している。
それだけでもずいぶん興味深いが、それぞれに遊郭があったと言うからなおのこと興趣が尽きない。
今度は西側の島へと行ってみることにしよう。
西遊郭
目の前を流れる旭川にはかつて舟運があり、このあたりに船着き場があったという。そして今から向かう西中島には旅籠があった。
物資の集散地として賑わい、この地に遊郭ができたのもごく自然な成り行きだったのだろう。
京橋を渡って西中島町へ。すぐに路地を折れると、すぐさま雰囲気がそれっぽいものへと変化を遂げた。
青空日和の暑かった日も、さすがに17時も過ぎればずいぶん歩きやすくなった。
「晴れの国」の面目躍如とはまさにこういうことを言うのだろう。
西日に照らされ、上下でコントラストがかかったコンクリート物件。
面白いことに、玄関のある正面右側のみならず背後にも和風な木造が建っている。
かつては目の前の更地にも妓楼が立っていたようだ。
振り返ると、元旅館だろうか。「ふくだ」の屋号が残る立派な木造建築がひときわ存在感を放っていた。
この建物、Googleマップで見てみると構造がカタカナの「ロ」の字になっている。
おそらく、各部屋から中庭が見渡せるような造りになっているのだろうと思う。
路地にはまるで成熟しきったワインのような大柄な木造建築が両側に立ち並び、歩くだけでその威圧感に圧倒されそうになる。
この雰囲気、晩年の大和郡山・東岡を彷彿とさせる。
そう言えば、あのまちも初めて歩いたのはこんな暑い夏の日だった。
西側の路地へ抜けたあたりで、面白い建物を見つけた。
間口の割に奥行きが短い。地図には「朝日荘」と書かれている。
おそらく転業アパートの類ではないかと思う。
東西を歩いてみて、西遊郭のほうが少しだけ名残をとどめている。そんな風に感じた。
さらにもう一軒、面白い建物が目についた。
地面に目を向けると、ラスコーの壁画よろしく解読不能なイラストが描かれていた。これは一体なんぞ。
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