海南市の遊里 西新地を訪ねて

和歌山県
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およそ3年ぶりとなった和歌山ネタは海南市から。

と言っても「それどこよ?」ってなる人が多いと思うわけで・・
場所は和歌山市のお隣。

その海南市にあったという2つの遊里を訪ね、一路高速を南へと走らせた。

時系列的には前回の河内長野は実はGW旅の一番最後で、スタートはこの海南市。
久しく行ってなかった和歌山をメインに回る旅だった。

目的地は、昔記事を書いた漆器のまち「黒江」の目と鼻の先だった。

当時は海南に新地があったなんてつゆ知らず。。
灯台もと暗しとはまさにこのこと。

近くにクルマを停め適当に歩き出すと、すぐに色街の残り香が漂う景色が目の前に現れた。どうやらここで間違いないようだ。

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海南西新地

ふたつの遊里は位置関係そのままに「東新地」「西新地」と呼ばれていたそうだ。
そのうち西新地のほうは、東浜という地区にあることから「東浜新地」と呼ばれることもあったと。

西新地は、三方を国道と川に囲まれたエリアにある。
駅から歩けば15~20分ってとこだろうか。これぐらいなら歩くのも全然アリだと思う。

 

期せずして迷い込んだ路地で、まさかこんなハイレベルな建物に出会えるとは。
海南の持つポテンシャルの高さに思わず唸り声を上げた。

本来の用途はもとより、もはや建物としての天命すらまっとうしかけているように見える。

主よ、安らかに…。

その先の路地を左手に折れると、“スタンド割烹”と書かれた「扇や」さん。

スタンド割烹とは一体どういう業態なのか(謎)

対面には、くり抜きの意匠が美しい建物。

この路地がもっとも雰囲気があったように思う。

正直海南はあまり期待してなかったんだけど、のっけから当たりくじを引いたような展開になってこの辺から急激にテンションが上がってきた。

振り返れば、バイク乗りとしての自分に決別し、8年ぶりに車持ちに戻ったのがちょうどこの頃。

不自由でしんどいバイク旅から圧倒的に楽なクルマ旅に戻れたこと、それが自分に課した経済的な目標を長い努力の末にクリアしたから、という事情もあってなんかちょっとふわふわしていたこの頃。

まぁそんなわけでですね。天気もよく路地裏風景も素晴らしく。
はるばる和歌山まで来た甲斐があったな、と。

 

さて。

駅から結構離れた場所に今も現役の盛り場が残る光景。
まちの歴史を知らぬ者にはおそらく奇異に映ることだろう。

とは言えここの成立についてはよくわからない。ただ、芸妓中心のシマだったことは確かなようだ。

そう言われてみればこれなんか置屋とかに見えなくもない。
正面の塀に少し花街っぽさがあったけど、ただ密林すぎて建物がまったく見えなかった…。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. 海南人 より:

    平和旅館も潰されましたね😔

  2. モノノフ より:

    全国の色街巡りとは面白そうですねぇ(^o^)
    海南市民のモノノフと申します、現在はアメブロでさすらいの武士と言うブログを書いてます。
    我が町海南市の歓楽街の歴史は戦前にまで遡りますが、最も好景気で湧いたのは戦後漆器屋がプラスチック漆器の大量生産を始めてからです。
    おそらく西の新地もその頃からでしょうね♪
    3枚目の写真は日方川通りですが地元民は八軒長屋と呼んでます、梟丸が有るとこは六軒長屋。
    かき惣の営業は確か10月くらいから3月末まで、スタンド割烹扇やさんは超お薦め店で値段は高いけど料理の質の高さはジモターの保証付き!
    元禄の蕎麦屋も閉店してしまいました(^_^;)
    しかし東の新地まで探検されたとは驚きです、あちらはもっぱら身を売る商売がメインでしたから赤線などとも呼ばれてましたね。
    西の新地は分かりやすい番地で、194・195・185・186がほとんどで端番無しなんです。
    郵便配達員の新人泣かせなんです(^_^;)
    ブログ登録させて頂きました♪

    • machii.narufumi より:

      モノノフ様
      コメントありがとうございます。
      なるほど、色街は漆器と関連があったのですね!
      しかしさすがに地元の方は知識がすごい・・色々知らないことが聞けて大変ありがたいですm(__)m
      東の新地は私が行った時点でもう名残は皆無でしたので、せめてあと5年ぐらい早ければ・・と悔しかったのを覚えてます。

      久しぶりに記事を見返しましたが、もう5年も前なのか・・となったので、海南にはまたいつか足を運んでみたいですね。

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