奈良県大和郡山市。奈良県北部に位置する、金魚の養殖で有名な街である。
木辻遊郭のところで触れた奈良三大遊郭のうち、実は残り二つがこの大和郡山にあった。
そのひとつが郡山東岡遊郭で、近鉄郡山駅の南東、距離にして徒歩5分強のところにあった。
戦後は郡山新地といういわゆる赤線地帯に移行。ここまではよくある話である。
問題は1958年(昭和33年)の売防法完全施行後のほうだ。
通常であれば、転業旅館や転業アパート、商いそのものをやめてしまうケースもあるが、郡山新地の場合は、ちょんの間、つまり裏風俗街として生き長らえるという手段を採った。
駅前商店街でカフェー建築風味な建物を発見。
始めこそ普通の旅館街であったそうだが、闇のルートが確立されたのか突如フィリピーナ系の売春街として華々しく復活を遂げている。
朽ち果てる寸前の建物にはタイルがあしらわれている。色街との関連は不明だが、やっぱり奈良って古い街だなぁと変なところで感心。
いざ結界の中へ
駅前商店街を南下するとT字路にぶつかるのでここを左折。その後すぐに右折すると目的地に到着する。
郡山新地の最期は裏風俗業界を震撼とさせた。平成元年(1989年)10月6日、毎日新聞夕刊の一面記事で売春旅館の実態が明るみになり、寝耳に水(でもないだろうが)の奈良県警が摘発に乗り出した結果、街は壊滅に追い込まれたのである。
結界を超え、新地の内部に潜入。このたばこ屋が目印となる。指定地はここを起点にだいたい東西南北に広がっている。
あっち系の方々の息がかかった街だったようで、現地での人身売買はもちろん、徹底した管理売春でほぼ軟禁状態で働かされていたらしい。現代の女衒業者と言える。
最終的な逮捕者は15人と、相当大掛かりな摘発であったことが窺える。
25年が経過した現在は、そのまま放置された旅館の朽ち行く過渡期であり古色蒼然な景観を紡ぎ出している。
意味ありげに「旅館」とだけ書かれた元妓楼が何軒も見られるのがここの特徴。
そのほとんどが廃墟となっているが、劣化の度合いが半端なさすぎて悶絶モノである。
佇まいからして戦前の妓楼であることは間違いないと思う。
素晴らしい建物でも手入れされなければほらこの通り。という悪例と言える。
橋本遊郭とは雲泥の差である。
三階建の大廈高楼なのに、見る影もないとはまさにこのこと。
ああぁ・・これは酷い。
腐ってやがる・・早すぎたんだ。
目に毒な写真が続いたので、閑話休題。
今ではこの窓だけが、往時の繁栄を示すものと言えようか。
玄関はガラスが散乱してドアが半分開け放たれていたので、おもむろに中を見やると・・壮絶な光景が目の前に広がっていた。
うん、見なかったことにしよう。(たぶん無理)
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コメント
結構前の記事ですけど近くに住んでいるのでコメントします。
自分ただの旅館やと思ってました。
その空地ですけど たしかそれっぽい作りのものがあったような
コメントありがとうございます。
やはりそうでしたか。あまりにも不自然な空き地だと思ってました。